てぃだぬあがるまでぃん

ライヴの規模の大小にかかわらず、時には御客様がいらっしゃらない時でも、
唄い演奏する時には、様々なことを思い感じます。
本当は、そんな思いを語り合いたいのですが・・・。
語り尽くせなかったことなどを書いてみたいと思います。

2004年6月27日(日)「沖縄料理店の隠しメニュー」

一般客の僕が言うくらいですから、
「隠しメニュー」と言う表現は、
正確でないかも知れません。

しかし、味の素を使わない、
手作りにこだわる、
そのかたくなさに惚れて、
結構通っているのですが、
初めて食べました。

もちろん、
メニューには載っていませんし、
値段もわかりません。

素材は、
ソーミンチャンプルー用の素麺、
トマトを煮込んだソース、
シーフード、
グレープシード油。

注文した全ての料理を食べた後に、
「そう言や、こんなんあった」
と振られて、
「いただきます」
と即答しました。

あれだけ食べた後とは思えない、
恐ろしいスピードで、
胃の中に収まってしまいました。

後に残ったのは、
トマトソースの甘美な香り。

「もう、おいしいとしか言い様がない」
と言ったら、
第2弾が登場しました。

紅芋のデザート。

こちらも、
メニューにはありません。

そして、
これは「注文して」ないので、
「振る舞い」です。

ごちそうさまでした。

このお店、
紹介したいのですが、
何せ自店の広告に、
店名だけ載せて、
住所も電話番号も書かないので、
僕も控えたいと思います。

お店の名前は、
「ゆんた」です。


2004年6月24日(木)「ちんどん通信社live」

「ちんどん屋」という職業があります。

商店街の売り出しや、
パチンコ屋の開店、
そんなイヴェントの、
宣伝をするために、
「ちんちんどんどん」と、
鉦や太鼓を打ち鳴らし、
町内を練り歩く。

コンビニがスーパーを数で追い越し、
商店街も、町内も、
少しセピアがかった言葉に、
なっていこうとしています。

時代の流れとともに、
この仕事をする人が減ってきました。
というよりは、
仕事自体が減ってしまいました。

そんな中で、
ちんどんを舞台芸に引っ張り上げた、
それが「ちんどん通信社」です。

全国各地で毎年行われている、
ちんどん大会の中心的役割を果たし、
CD、VTR、DVD、も制作、
芸を後生に伝えていく、
という仕事に共感した若者達が、
入門したいとやってくるそうです。


そんなひとり、
二胡を演奏する青年です。
ソロで、中国の民謡と流行歌を演奏してくれました。

今回改めて感じたのですが、
ちんどん屋の音楽は、和洋中折衷というか混合です。
まさに、チャンプルー、
どこかで見たような、
そう、白保の「白百合倶楽部」。

楽譜も読めない普通の若者が、
頭に残ったメロディーを頼りに、
クラリネットやバンジョーを操り、
終いには、合奏曲にしてしまう。

若者1名を除いては、
みんなおっさんなんですが、
演奏中の「顔」の楽しそうなこと。

職業と言うよりは、
人生を通してやり通す仕事、
そんな演奏でした。

約1名の若者を見る目がまた優しい。
父親が息子を見守るような、
そんな目なんです。

あいにくの雨でしたが、
とても満たされた夜になりました。

ちんどん通信社
http://www.tozaiya.co.jp/


2004年6月20日(日)「大工先生特別講習会」

私達の師匠は沖縄にいらっしゃいます。
だから年に何度かしか、
直接指導を受けることが出来ません。

今回は、民謡コンクール直前の、
大切な講習会です。

去年合格した私達は、
今年は受験できない決まりになっていて、
それでも、去年より1人多い11名が、
新人賞にチャレンジします。

そんな日に、
何と台風直撃のニュース。

よもや中止か?

の心配までしましたが、
台風の合間を縫って、
師匠が来阪されました。

否が応でも盛り上がります。

ひとりひとり、
本番と同じ衣装を着けて、
立って唄います。

なれないせいか、
演奏中に三味線を滑らしてしまった人が、
2名もいました。
本番だったらそれだけで「失格」です。

こちらも、見ているだけで、
緊張します。

去年師匠に言われたこと、
「コンクールは結果ではなく、
過程が重要なんです。」

あと、2週間、
悔いの残らないように、
しっかりと練習してくださいね。


2004年6月19日(土)「八重山民謡ソロライヴ〜南風くん唄う」

今年4回目のソロライヴを演らせていただきました。

当日は「1000000人のキャンドルライト」という
イヴェント企画ということで、
各テーブルの上にはロウソクが・・・。

「ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。」
↓↓↓詳しくは↓↓↓

http://www.candle-night.org/jp/message/index.html

ストロボを炊いているので写真は明るいですが、
実際はロウソクの光だけ、
おまけに台風の影響か静けさが漂っていて、
まるで八重山の夜のようでした。

実は、今回は2度目という方が来られていました。
つまり、同じ曲はやりにくい、ということで、
少し苦労しましたが、いい経験になりました。

ソロのライヴをしていくということは、
そういうことも考えていかなければならない、
当たり前のことかも知れませんが。

そんなことなどを少し考えながら、
ゆったりとした夜なので、
手拍子から「安里屋ユンタ」
「鳩間節」「デンサー節」・・・、

そして、今夜のメインイヴェントは、

そうです、唄う「南風くんZ」。

前週に、小浜島の大会に2年連続出場してきた、
南風さんの「小浜節」。

島口で朗々と唄う南風さんの唄声が、
御客様の心に染み込んでいきました。

3番の歌詞の後半がリフレインするのは、
島の唄い方独特のものです。

「いつまでも唄い続けていたいから、
繰り返すのでしょう。」
と、言われた方がいらっしゃいました。

去年、小浜島で見せていただいた、
島の御婦人方による、
ゆったりとした優雅な舞踊が、
目の前によみがえってくるようでした。

白保ゆかりの方がいらっしゃいましたので、
最後は、「夏花〜サコダアッパ」、
そして「とぅばらーま」は、
平和の祈りを込めて、
大工先生につくっていただいた歌詞を、
唄わせていただきました。

「戦ぬ中から生まれく物や、位牌とぅ人ぬ涙びけい、
ばがけらぬ思いや弥勒世ぬ願い、神ん仏ん届け給り」


2004年6月13日(日)「唄への思い2」

10時前には、お店を出たんですが、
家にたどり着いたら、
12時でした。

どなんさんがいなければ、
確実に、終電を逃しているところでした。
「営業時間は4時まで」というのが、
妙に納得できてしまいます。

「海洋亭」は、
京都の山科にあります。
京都で唯一の「民謡酒場」
なんだそうです。

ステージは、
畳半分。

マスターが真ん中に座ると、
隣で太鼓をたたくのは、
ちょっと窮屈かも知れません。

だけど、このスペースから、
でるわ、でるわ、
情け唄の数々・・・。

「唄者生活25年」とおっしゃるので、
思わず「子供の時から?」と、
突っ込みを入れてしまいました。

実際は、18歳からで、
古謝美佐子さんと、
地方を回ったこともあったそうです。

唄ってらっしゃるのを拝見して、
つくずく感じました。

「好きなんだなぁ〜。」

僕は果たしてこれだけ好きになれるでしょうか。

◆◇◆

「海洋亭」
山科区東野中井の上町6-66
075-581-1187
最寄駅は東西線「東野」駅
木曜定休


2004年6月12日(土)「唄への思い」

久しぶりにお目にかかりました。

さなびぃさん、
島唄を学ぶ先輩です。

初めてお会いしたのは、
やはり、大阪三線クラブの練習会、
まだ、コンクール受験前の、
超初心者の頃でした。

「デンサー節」を、
歌い始めたとたんに、
場の空気が変わりました。

誰もが、彼女に釘付けになり、
呼吸をすることさえためらわせるほどの、
そんな唄でした。

「あまり数は出来ないのだけれども、
ひとつの唄を大切に唄っていきたい。」
と静かに言われたのが印象に残っています。

僕はと言えば、
相変わらずたくさん覚えたい、
という欲張りな性格です。

キャリアも、
実力も全然かないませんが、
大切に唄っていきたいという、
気持ちには、
変わりはないつもりです。

僕の唄を聴いて欲しい、
という事ではなくて、
僕がこれだけ好きになってしまった、
八重山の唄の良さに、
触れてもらえれば。

そんな気持ちで、
唄っています。

でも、
久しぶりに、
聴かせていただいたのですが、
やはり、もう、
全然かなわない。

さなびぃさんの、
変わらない、
「大切に唄う」
という姿勢を、
見習わなければと、
思います。


004年6月7日(月)「松田しのぶlive」

松田しのぶさんのライヴに行って来ました。

著名な民謡歌手を父に持つ、
(お祖父さんは古典の名人だそうです)、
サラブレッド、
小さい頃から民謡の中で育ち、
高校生で民謡コンクール最高賞を受賞。

2年前にはCDデビュー、
最近はホテルのライヴでも活躍されています。

沖縄ブームのおかげで、
大阪にいて、若い人たちの唄を聴くことが、
出来ます。

みんなそれぞれに個性があって、
演奏する曲も違えば、
トークの内容も様々です。

松田しのぶさんは、
見かけちょっと恐そうですが、
トークがメチャ三枚目で、
唄もかっこいい系なんですが、
そのギャップが、
面白いんです。

女性の方は、
あまりなさらないような曲、
例えば嘉手久なんかを、
涼しい顔をして弾いておいて、
「この間は、クラゲ人間に襲われそうになった」
とか言って、笑わせてくれました。

もう、2時間という時間が、
本当に「あっ」という間でした。

三味線弾きとして発見したこととしては、
「薬指」を使われるんですね。

後で、うかがったのですが、
やっぱり普通は使わないそうです。

たまたま、今夜のライヴで演奏した曲に、
使う曲が多かった。
と、言っておられました。
別に、小指も使い分けておられました。

松田しのぶさん、
ライヴがクセになる、
そんな歌い手のひとりになりそうな予感です。


04年5月のてぃだぬあがるまでぃん
04年4月のてぃだぬあがるまでぃん
04年3月のてぃだぬあがるまでぃん
04年2月のてぃだぬあがるまでぃん
04年1月のてぃだぬあがるまでぃん