てぃだぬあがるまでぃん

ライヴの規模の大小にかかわらず、時には御客様がいらっしゃらない時でも、
唄い演奏する時には、様々なことを思い感じます。
本当は、そんな思いを語り合いたいのですが・・・。
語り尽くせなかったことなどを書いてみたいと思います。

2004年1月30日(金)「他人の気持ち」

知り合いのお店で、
ソロライヴをやらせてもらうことになりました。

急になんでだろう?と、思ったのですが、
「最近まわりに気ぃ使ってか、MAXの声で唄ってるのん、
聴いたことないし、かわいそうやから、
いっぺん思いっきり気が済むまで唄わしてやりたい。」
と、言うことなんだそうです。

もう、じ〜〜〜んときてしまいました。
そんな風に他人に対して、やさしくなることが出来るんですね。
とても、大切なことを学ばせていただいたような気がします。

日程はまだ決まっていないのですが、
終了時間は、ホントウに、
「歌い終わるまで。」
なんだそうです。

早速チラシまで作っていただきました。

気持ちにお答えできるよう、
フルスロットルで唄います。

2004年1月28日(水)「一三下げ」

練習しようとして、三味線を持って踵を返した瞬間、
「バキッ」と嫌な音がして、何かが、
目の前を飛んで行きました。

一瞬、何が起こったのかわからなかったのですが、
飛んでいった方を点々々と目でたどっていくと、
からくい(糸巻きの棒)の先っぽが転がっています。

視線を手元に戻してみると、
やっぱり、1本足りない、折れたんですね。

でも、なかなか、納得できません。
その日だけ特別に違った動作をした訳ではないんです。
玄関を入った正面の壁に、
いつものように置いてあったんだけどなぁ。

しかし、考えている余裕はありません。
これを取り替えるのには、
少々時間がかかります。

あきらめて、中弦を固定した状態で、
調弦を始めます。
いつもと、逆なのでかなりやりにくいです。

現在練習中の曲は、「五月雨節」と「殿様節」、
どちらも二揚げという調弦の曲です。

だから、本調子という調弦で声出しをしたあと、
すぐにまた調弦しなければなりません。
しかも、「二(中弦)」が「揚げ」られないので、
「一」と「三」を下げなければなりません。

そういえば、八重山古典民謡コンクールの講評に書いてありました。
「二揚げ」にする時には、「一三下げ」も出来るように練習しなさい。

はい、やってます。積極的ではないですが。
当分、直せそうにないので、
「一三下げ」の技術が身につくかも・・・。

2004年1月26日(月)「古巣」

ちょっとした用事があって実家に立ち寄りました。
兵庫県の尼崎市、目と鼻の先なんですが、
1年ぶりくらいになります。

用事を済ませて、時計を見ると、
「あと30分」。
笛の練習会の日だったので、
あまり時間はありません。

迷ったのですが、
寄っていくことにしました。
後で、昔話をしながら計算してみたのですが、
多分、16年ぶりくらいになります。

つまり、僕の青春の思い出の場所です。

大人になりきれなくて、
もがき、あがいていたころ、
そんな頃の思い出がいっぱい詰まっている、
そんなお店です。

このお店で働いていたころ、
色んな人や、考え方と出会い、
少しずつ変わっていけたのかも知れません。

保育園に通っていた一粒種の息子さんは、
アメリカの大学院に進学されたそうです。

東洋の輝ける希望の星、
の思いを込めて名付けた、東希くん、
名前通りの道を歩んでいますね、
というと、
良く覚えてるなぁ、と、
笑っておられました。

心配した通り、長居をしてしまい、
練習にはほとんど参加できませんでしたが、
ふと、原点に立ち戻れたような、
そんな気がしました。

お店の名前は「どるめん」といいます。

2004年1月23日(金)「トイレの窓が凍結」

昨日は寒かったですね〜っ。フーッ。
バイクで走っていると顔が凍りそうでした。
路面もあっちこっち凍結していました。

大寒だ〜っ、真冬だ〜っ、温暖化なんてうそつき〜っ、
とここまでは、毎年の行事なんですが、
さすがに、これには、びっくりしました。

我が家は、トイレの窓が北向きにあって、
水回りということもあり、結構年中湿気てるんですが、
まあ、寒いんです。コンセント無いし。

だから、特に冬の夜には入りたくないのですが、
昨日はしょうがなしに入ってみると、
「息が白い〜っ(@@)」

「何じゃ〜っ、ここは、外か〜っ。」
と悪態をつきながら、ふと窓を見てみると、
キラリと光っているじゃないですか。

まさか〜っ、と思ったけど、
さわってみるとやっぱり、
凍ってました。

屋内が凍る家って、
三味線弾〜ちゃ〜向きじゃぁないですよね。

2004年1月21日(水)「新年会三様」

この週末に、新年会が3つ重なりました。
その内のふたつが、同じ時間帯だったので、どちらか止めようかなと思ったのですが、
どちらを止めるか決められず、ひとつは遅れて参加することにしました。

ひとつめは「わしまある」、大阪三線クラブのポップスグループで、
師匠から名付けていただきました。
曾根崎警察暑の地下にあるライヴスペースで、2度のライヴ公演を行いましたが、
現在は、リーダーが抜けたこともあって、ちょっと休眠中です。

それを象徴するかのように、集まったメンバーのうち、三味線を持ってきたのはふたりだけでした。

「ちょっと寂しいな。」と思ったのは、みんな同じだったようで、
オリジナル曲「夏の島」を一緒に唄って、

「今度会う時はみんな三味線を持って来よーねー。」と、復活のきざしです。

今年の「わしまある」、楽しみです。

さて、大急ぎで大正から鶴橋まで移動です。
ふたつめは「ミニ波照間会」、旅行仲間の集まりなんだそうですが、
波照間で知り合った人が3人参加されるというので、2次会から合流です。

行ってみると、大きな集まりでびっくりしたのですが、
良く知った顔を見つけて安心しました。

ひとりは、m saitohさん、岡崎からの参加です。
お正月に、波照間から電話をかけてきてくださいました。
すでに、三味線を持って準備万端です。

もうひとりは、なっちゃん、三島からの参加です。
富士山の国から、よくぞ、やって来てくれました。
再開を飛び上がって喜んでくれました。

そして、nightflyさん、いつも丁寧に集まりの案内をいただいていて、
今回も、色々お世話になりました。

そして、今年知り合ったという方が、何人かいらして、
そのテーブルのまわりだけ、文字通り「ミニ波照間」状態に。

nightflyさんに、宿泊の手配を御願いしていたので、
時間を気にすることなく、ゆんたくすることができました。
ちょこっとだけ、島時間にひたることが出来ました。

翌日、大阪駅のホームでなっちゃんを見送ってから、
大阪三線クラブの練習会に参加して、
最後の「三線友の会」です。さすがに、ちょっと疲れ気味。

この集まりが、今回の中では、一番「濃ゆい」ということになります。
八重山芸能に造詣の深い、アブジさんが、参加されていることもあって、
竹富博士や、コンクール受賞者もゴロゴロしています。

だから、SHI特製のキムチ鍋がソバで締まるのを待っていたかのごとく、
八重山民謡がどんどん登場します。それも、一般的なものではなく、
小浜島の小浜節、与那国の唄、波照間の唄、そして宮古の唄。

しかし、これには、驚きました。
小浜島の芸能「ダートゥーダー」、しかも踊り付き。
こんなん、大阪のどこに行っても、いやおそらく那覇でも石垣でも、
簡単には見ることは出来ないでしょう。

しかも、hiroさんとどなんさんのふたりは、息もピッタリでした。

そんなこんなで、白熱し、またもや、終電乗り過ごし。
阪急電車さん、御願いですから、終電あと1時間遅らして下さい。

2004年1月16日(金)「成人式」

成人の日の暗い話題が世間を騒がせているようです。
報道を見ていると、まるで、全ての新成人が、
無法者のような扱いを受けているような気がします。

僕の知っている若者たちは、明るくて礼儀正しいので、
ちょっと違和感を感じてしまいます。

去年のお正月に波照間島の成人式を見る機会がありました。
波照間島には、高校も大学もありません。
中学校を卒業すると、進学する人は島を離れなければなりません。

最近では、ほとんどの若者が進学するため、
成人式に出席するために島に帰ってくることになります。
だから、都会よりは少し早めに行われます。

島を離れて何年も経ってますから、
顔つきも大人っぽくなって、背筋もシャキッとしています。
島の人たちみんなに祝福されて、とても幸せそうでした。

大人が若者たちのことを大切に思っていれば、
若者たちもそれに答えてくれるのではないか、とも、
思ったりします。

2004年1月11日(日)「大阪三線クラブ新年会」

連載記事のようになってしまいましたが、
大阪三線クラブの新年会です。

御覧頂くだけで、おわかりいただけると思いますが・・・。

モーヤー(カチャーシー)が始まると、
何故か全員が大きなひとつの輪になって回り始めます。

それが、長〜い、でも、楽しい。
「猫小」から始まって「まんがにすざ節〜ぼすぽう節〜真謝井〜あぶじゃーま」
この日のために1年かけて練習してきた甲斐がありました。

底抜けに明るい、そして、やさしい、仲間たちに囲まれて、
いつも、心が洗われる思いです。

この幸せを、ひとりでも多くの方に、お伝えするために、
今年も、行きます、出張ライブ。老人施設に福祉施設やイヴェントに。

いつの日も、いつの日も、こころに花を。

2004年1月10日(土)「琉球三味線教室」

某オキナワ料理店で、別の三味線教室の新年会と
御一緒させていただく機会がありました。

普段は、あまり交流がないものですから、
いろいろと、教えていただきました。

私達の集まりには、普段は師匠がいらっしゃいませんので、
新年会と言っても、お祭りのような宴会になってしまいます。

しかし、正統な琉球三味線教室の場合は、
師匠を上座に迎えて厳かに進行されているようでした。

演奏する場合でも、私達の場合は、我先にと三味線を持って、
舞台に殺到してやかましいのですが、
正統な教室の場合は、師匠の指示に従って、
順番に演奏していきます。

僕は密かに、「かぎやで風」の舞踊から始まるものかと、
期待していたのですが、
踊りはカチャーシーだけのようでした。

舞踊は、また、別のジャンルになっているのかも知れません。

一定の規律に従って、
厳かに進められた新年会は、
三々五々、私達のような騒ぎにはならず、
しめやかに終了致しました。

さすがに、歴史と風格が感じられます。

しかし、肩凝りそう・・・。

2004年1月9日(金)「石垣方言辞典」

僕たち、ネイティヴでない者にとっては、
古典民謡の中に出てくる「方言」は大きな壁です。

八重山の人なら文字通り誰でも知っている「鷲ぬ鳥節」という唄の、
「鳥(とるぃ)」という発音が、なかなかできません。
どの島へ行っても、「内地の人が、よく覚えたね。」と、
誉めてくれた後で必ず「でも、発音がちょっと違ってるね。」
と、言われてしまいます。

よく知っているはずの言葉の発音でさえこんな調子ですから、
ほとんどが初めて聴くような方言を理解するのは、
なかなか難儀〜っ、な作業です。

古典民謡を学ぶ者の世界には、「肝入り(チムイリ)」という言葉があります。
肝とは、気持ちとか心という意味で、「気持ちを(心を)こめて唄いなさい」
という意味になります。

そのためには、唄っている曲の、歌詞の意味がわかっていなければなりませんが、
僕たち県外の者には、わからない言葉の意味を教えてもらえる、
おじぃ、や、おばぁ、はいません。

それで、書籍や辞書のお世話になることも多くなるのですが、
「すごい」辞典がでました。収録項目17,600というだけでなく、
逆引き可能な索引までついています。

著者宮城信勇さんのお母さんは「八重山生活誌」を著された宮城文さん。
母子2代にわたり、「日本語研究に大きな財産を与えた」と、
絶賛されています。

とか言いながら、つい、買ってしまうんだよなぁ。
「本棚の肥やし」とか「昼寝の枕」とか言われてしまわないように、
活躍してもらわなくっちゃ。

2004年1月6日(火)「SHIチーフ 24th Birthday Party」

年明け第1回目のライヴ演奏でした。
年末からの風邪が完全に抜け切れてなくて
体調万全という訳ではなかったのですが、楽しかったです。

今回は、南風新安倶楽部カルテットのお仕事なので、僕は太鼓方です。
だから、喉の調子も気にしなくていいか、と、ちょっと他人事っぽい感じで、
ライヴの時には珍しく、楽器も持たずに、出かけました。

集合時間の約30分過ぎ頃、SHIに着いてみると、
カルテットのリーダーが、まだ、来ていません。

隅っこの方に座り、(実は、その隅っこにPCがあるのだ)
何か変更でもあったかと、BBSをチェックしてたら、
やってしまいました。新年早々の、大ポカ。
何かのソフトを終了させてしまったらしく、
店内のBGMが止まってしまった・・・。
店主様、ゴメンナサイ、でした。

余計なことだけして、あとは、隅っこで、
リーダーの到着を待ちながら、ショボンと、
ジンジャーエールで沖縄そばをすするの図。

9時を回って、ようやく、リーダーが到着しました。
お正月らしくまったりと時間が過ぎていきます。

ひと心地ついて、さて、ライヴの始まりです。
座開きは「かぎやで風」、ゆったりとした曲なので、
だんだん気持ちよくなってきます。

テーブル席にいらっしゃった御客様からも、拍手をいただきました。
何と、このグループ(御家族のようでしたが)の中にも、
この日が誕生日だった方が、いらっしゃったようで、
とても喜んでくださいました。

続いて、今回は出番がないと思っていたのですが、
風邪で声が出ない店主に代わって、僕の「目出度節」、
松竹梅の歌詞がまだ入っていないので、ノーマルヴァージョンです。

そして、うちなーさんが、この日のために作った、
「チーフぬ美しゃ」、普段から美しいチーフの顔がさらに輝きを増します。
さらに、リクエストに答えて、スタッフ柿ちゃんの「安里屋ゆんた」。

だんだん盛り上がってきましたが、笛方の南風さんが、まだ到着しません。
じゃぁ、ちょっと、にぎやかな曲ということで「与那国ぬ猫小〜まんがにすざ」。
風邪をおして、店主が踊り出したので、「山崎ぬアブジャーマ」に、変更、
したのですが、そこで、店主、力つきて、割り箸を折るところまでは至らず、でした。

ちょっと休憩、というタイミングになったので、SHI提供の、
イチゴのタルトに入刀、美味しくいただいていると、
ようやく、南風さんが到着、何と11時です。

仕事と八重山でもらってきた風邪のせいで、ヘロヘロの南風さんが、
空腹をちょっと満たしたところで、
ようやくカルテットの「かぎやで風」がはじまります。

南風さんの抑え気味な演奏が、おごそかな雰囲気をさらに盛り上げ、
リーダーの唄も、なめらかに進んでいきます。
誰もが、おいしい料理と、まったりとした雰囲気で、
お腹を満たしていただけたのでは、
と、思えてしまうほどの就寝率2名、という
とっても幸せな気持ちに満たされたライヴでした。

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