てぃだぬあがるまでぃん
ライヴの規模の大小にかかわらず、時には御客様がいらっしゃらない時でも、
唄い演奏する時には、様々なことを思い感じます。
本当は、そんな思いを語り合いたいのですが・・・。
語り尽くせなかったことなどを書いてみたいと思います。
2004年2月27日(金)「地元の三味線屋さん」
八重山民謡を学ぼうとする時に必要となるモノ、
情熱と自由になる時間は、ちょっと置いといて、
楽譜(工工四)お手本の音源、三味線、笛、衣装、
まだあるかも知れませんが、
取り敢えずあげてみます。
このうち、三味線以外は、
ほぼ、メンテナイスの必要がありません。
いちど購入してしまえば、
ずっと使い続けることができます。
しかし、三味線はそう言う訳にはいきません。
使っているうちに、弦が切れます。
糸巻き(カラクイ)が折れます。
胴の皮が破れます。
そして一番やっかいなのが、棹です。
まれに、曲がったり、胴と合わなくなったりします。
弦と、器用な人なら、カラクイは御自身で交換できますが、
それ以外は、三味線屋さんで直してもらうことになります。
そんな時に、便りになるのが、
地元の三味線屋さんです。
「ちょっと、見てもらいたいんですけど。」
「いいよ、どうしたん?」
で、直してもらえる、
とても、有り難いことです。
大阪にも、
そんな三味線屋さんが、
あります。
沖縄三線の店「佐々忠」さん
2004年2月24日(火)「マイナーチェンジ」
日頃、バンド用及び遠征用として使用していた三味線が、
原因不明の不調。音が「ビビる」と言って伝わるでしょうか?
鳴らした時に、びぃ〜んっとイヤな音がするんです。
色々工夫してみたのですが、
結局自力では解決できず、
三味線屋さんに調整してもらいました。
しかし、納得できる状態にまでは戻りません。
原因がわからないので、
購入した石垣島の三味線屋さんに、
診断してもらうことにしました。
持っていける距離ではありませんので、
送ることになるのですが、
送ると、行って帰ってくるまでに、
大体2週間はかかってしまいます。
それでは、次のライヴに間に合わないので、
前から気になっていた、
KUWAさんデザインのミンサー柄の三味線を
1棹購入しようと・・・。
「そんなん、買わんでええやん。
その、棹につけたらええねん。」と、
ちゃかちゃかちゃんと、
マイナーチェンジされてしまいました。
棹側ではなく胴側に問題があったのか、
音の「ビビり」もキレイになくなり、
結局、入院なしの日帰りですみました。
ということで、
もともとついていた、
安里勇さんのサイン入りの胴は、
第1号の「殿堂入り?」ということに、
なってしまいました(^^)。
KUWAさん三味線のデビューは、
3月14日の予定です。
2004年2月20日(金)「ヴァレンタイン」
そういえば、ここ最近、チョコなんてもらったことなかったなぁ。
で、くれたのが、写真左のまっちー、もらったのが写真右のチョコケーキ、
それだけだったらわざわざ書く必要もない出来事だったかも知れません。
2月16日のライヴに来てくれたまっちーが「ハイッ」って、
くれたのがこのケーキです。いわば陣中見舞い。
でも、「食べれる?食べれる?」って、
繰り返し聞くまっちー。
何でかな?と思ったら、
しばらくしてようやく教えてくれました。
僕が「自然食品店」に勤めているので、
「フツー」のものは、食べないかも知らんと、
心配してくれたんですね。
言っちゃぁ悪いが、敬語×のまっちー、
「何や、こいつ」と思っていたのですが、
肝心なところで、感心させられました。
人にモノを贈る時に、
その人の気持ちになって考える、ということが、
できる娘だったんですね。
最近の、結婚式の祝儀の返し、
人気は幾つもある中から選ぶカタログだとか、
返してもらう側が撰ぶって何か変じゃぁないですか。
その答えを、
天真爛漫娘のまっちーが、
教えてくれました。
三拝云、
君の気持ちがとても、
おいしかったよ。
2004年2月19日(木)「二・五胡?」
我が家の玄関の扉を開けると、
目の前に見える三味線の話です。
そう、1月27日に向かって左側の糸巻き(からくい)が、
折れたあの三味線です。
折れたものの、弦は調弦されたままだったので、
そのまま使っていたんですが(~~)、
とうとう、弦がゆるんで外れてしまいました。
しょうがないから、あきらめて、
からくいを直すことにしました。
前回書きましたように、
この三味線は練習用です。
ですから、ただ直すんではなく、
ちょっと、変わったことをしてみようと、
折れてしまったからくいを、
捨ててしまわずに、
削って再利用してみました。
からくいは、
三味線の本体にダメージを与えないよう、
元々少し柔らかい素材でできています。
ですから、削ること自体は、
粗めの木工ヤスリをお持ちでしたら、
割と簡単にできてしまいます。
注意するとしたら、
中心を外さないようにすることと、
円錐状に削るときに、
差し込む側の穴で止まるように、
先に細さを調整することです。
思ったより手こずったのは、
弦を通す穴を開ける作業です。
一般に売られているドリルでは太すぎて、
穴を開ける途中で、
きっと折れてしまうでしょう。
あきらめて、
ドリルを買ってからにしようかと思ったのですが、
ふと、思い出しました。
ドリルで穴を開ける時に位置がずれるのを防ぐ、
あるいは、穴を開ける材料が割れてしまうのを防ぐために使う、
細いキリがありました。
このキリ、穴の上と下で同じ径にならないので、
本当は、この用途には不向きなのですが、
何とかちょうどいい細さの穴を開けることができました。
取り付けてみたのが、上の写真です。
少し短いのですが、
それがかえって、かわいらしく見えませんか?
2004年2月18日(水)「ちっともソロじゃぁなかった」
一夜明けてようやく、
日常社会に復活できたような感じです。
ライヴは月曜やったから、二夜ちゃうんか、
と突っ込まれそうですが、
月曜は朝まで飲んでたので(~~)、
気分的には、やっぱり一夜なんです。
月曜日は仕事がありますから、
店を閉めてから、急いで三味線を持って、
「と、その前にっ・・・。」
点検しておこうとケースを開けて、
「まず弦を・・・。」
と引っ張ったら、女弦が、
「プッチン。」
「切れたか、ま、本番中やのうてよかったとするか。」
しかし、替わりの弦がありません。
女弦は、新しいと良く伸びるので、
出きれば本番前に張り替えて、
思いっきり引っ張っておきたいところです。
モリハラさんに、替えの弦を持ってはるか聞こうと、
携帯電話を手に取った時、
ふと、思い出しました。
「カンカラがあるやん。」
佐々忠さんのキリ番でいただいた、
カンカラ三線の女弦を外して、
からくい(糸巻)にクリクリクリッ、
佐々木さん有り難うございま〜す。
音を合わせようと、クリクリクリッ、バキッ、
「えっ?」
・・・・・・・。
「からくいっ、折れとるやん。」
さすがに、ちょっと、焦りました。
時間は、ライヴ15分前。
即断、即決が求められていました。
「とにかく、このまま持っていこう。」
自転車でライヴ会場に向かいます。
この、判断が結局、「吉」とでました。
会場について急いで、アブジさんを捜します。
月曜や言うのに、わざわざ来て下さった、
知人や友人に挨拶しながら・・・、っと、
あっ、いらっしゃいました。
小声で、声を掛けます。
「すみません。三味線を見てもらえませんか?」
6時開場ですから、店内はもうだいぶにぎわっています。
「これは、すぐには、直りませんね。」
お店の三味線についているからくいが合うかどうか、
見てくださったのですが、
ダメでした。
その間も、時間はどんどん過ぎていきます。
モリハラさんが、予備のからくいを提供してくださいました。
「とにかく、始めておいて下さい。
その間に、何とかやってみますので。」
アブジさんが、三味線を持って店外に出られました。
「せっかく、ライヴに来て下さったのに、
大変申し訳ありません。」
後ろ姿に、お詫びして、
ライヴを始めます。
つかみのネタは、もちろん三味線です。
「今日は、ひどい目に遭いました。」
御客様がドッと笑って下さいます。
モリハラさんの三味線をお借りして、
「赤馬節〜しゅうら節」、
満席の御客様が、し〜んと静まって、
聴いて下さいました。
まるで、コンサートホールのようです。
今回のライヴは、3部構成です。
第1部:八重山のスタンダードな古典
ゆったりとした曲が中心で、
聴いているうちに、
八重山にいる気分になっていただければと。
第2部:今回私が聴いていただきたい曲
メロディラインに特徴のある曲や、早調子の曲を交互に、
唄のエピソードを交えながら、
八重山古典のヴァラエティを知っていただければと。
第3部:御客様と話しながら進めていく時間
「二揚げ」という調弦にして、
スケールの大きい曲を中心に、
リクエストや笛と唄だけのアカペラも交えて、
三味線を使わない民謡も聴いていただければと。
第1部は静かに、第2部は指笛や太鼓に囃子、
第3部は、リクエストや返し、と、
結果的には、最初っから、最後まで、
御客様に助けられて、
無事終了することができました。
おかげさまで、私も目一杯入り込めて、
全部とは、とても言えませんが、
それでも、何曲かは、「今日が最高」と思えた曲もありました。
アブジさんのおかげで、
第2部から、自分の三味線で演奏することができました。
忙しい仕事の合間を縫って駆けつけて下さった、
パイカジさんが笛を入れて下さったおかげで、
第2部と第3部の演奏に幅と奥行きが出ました。
スパイス・ハーブ・アイランドさんのおかげで、
よい空間と、よい御客様に恵まれて、
後悔のない演奏をすることができました。
おまけに、朝までつきあわせてしまいました。
上の写真は八重山練習会の同僚、べっちーさんが撮って下さいました。
「しっかいとぅ三拝云」、その通り今回も
しっかりと皆さまのお世話になってしまいました。
「てぃだぬあがるまでぃん」、その通り今回も
明かるくなるまで飲んでしまいました。
もう一度みなさまに、「しっかいとぅ三拝云」
2004年2月14日(土)「ギャップ」
いよいよ、初めての単独ライヴまであと2日。
平常心でいよう、と、思ってもなかなかそうは行きません。
妙に浮き足立って、落ち着きません。
八重山民謡を学ぶことは、八重山の歴史と心を学ぶことだ。
などと、日頃えらそうなことを言ってる割には、
なんともだらしない自分に呆れてしまいます。
思っていることと、実際にしていること、
これが、いつも一致していてくれれば、
何も言うことはないのですが、
こんな時には、いやでも、
そのギャップを埋めるために、
冷や汗をかいている自分に気づかされます。
ライヴに向けて、新しい曲を練習しているので、
腕の筋はパンパン、
いらん事を考えてしまうので、
頭の中はぐじゃぐじゃ(@@)。
それでも、いつもと同じスピードで、
時間は流れていきます。
いえ、ひょっとしたら、
いつもより、少しだけ速く。
どうしようもない自分がいる。
しかし、それも、引き受けない訳には行きません。
2004年2月5日(木)「上手いを目指さない」
人前かどうかは別にしても、
唄う以上、少しは上手に唄いたい。
僕もそう思います。
しかし、八重山民謡に限って言えば、
それは、必ずしも正解ではないかも知れません。
先日、始めて2年目と、4年目の方の独唱を、
続けて聴く機会がありました。
僕には、声や唄の良し悪しはわかりませんが、
2年目の方は、まだ「声(喉)」が出来ていない、
というように感じられました。
僕も、今、2年目にあたります。
ソロライヴのお話しをいただいて、
予定演目の修正を行っているところです。
ラジカセは正直、または残酷です(>=<)。
出来ていない喉を、ごまかすために、
振るわせたり、鼻にかかったりしているところが、
全部わかります。
1カ所ずつ、修正していて、わかったことは、
発声をちゃんとしていないと、
上手に唄っているつもりでも、
そうは、聞こえない、と言うことです。
それで、1年前の、「八重山ぬ唄会」を聴いていただいた、
アブジさんの記事のことを思い出しました。
「うまさだけでは語れない」
人に感激していただける、最高の技術は、
「心」をこめて唄うこと、なのかもしれません。
2004年2月5日(木)「八重山独特のリズム」
八重山の民謡を学び始めた頃の話です。
「鷲ぬ鳥節」という、
八重山の人なら多分「誰でも」知っている唄を覚えようと、
繰り返し何度も聴いていました。
しかし、いつまで経っても、
何度繰り返し聴いても、
お手本と同じように唄えないのです。
八重山では、保育園児でも普通に唄っています。
おかしいなぁ、変だなぁ、
ひょっとして、僕って生まれつきの音痴?
って、今頃までわからんかったんかい、
と自分で突っ込みながら、
考えてみました。
八重山民謡とくくってしまえば、
標準語の歌詞はほとんどありません。
意味のわからない点では外国語のようなものです。
それで、思いつきました。
「英語だと思えばいい。」
とにかく、八重山民謡以外の音楽を聴かないことにしよう。
それから、さらに1ヶ月ほど経って、
ようやく少し唄えるようになってきました。
以来、八重山民謡以外のCDに封印しかれこれ約2年、
ようやく、八重山の唄のリズムが、身体に入ってきてくれたかな、
と感じています。
それを、文字通り体感したのは、
ライヴの後の打ち上げで、カラオケに行った時。
昔よく歌っていた歌謡曲を歌うと、
なんか、節回しが変なんです。
カラオケにツイテイケナイ。
それって、やっぱり、生まれつきの音痴いうことちゃうの(^^);
2004年2月2日(月)「八重山民謡は唄えない」
正確には、八重山民謡は「まだ」唄えない、です。
僕は沖縄の人間でも、八重山の人間でもありませんし、
彼の地に住んだこともありません。
ですから、八重山の土地と民に根ざした民謡を、
唄えるはずがありません。
八重山の唄には、歴史や制度のことをテーマとした唄が、
たくさんあります。
今伝えられている八重山民謡が、
作られたのは、1700年代〜1800年代にかけて、
約200年の歴史があります。
僕が民謡を勉強しはじめて約2年、
そのほんの100分の1しか民謡に触れていません。
ですから、本当は、八重山民謡は「まだまだ」唄えない、です。
ライヴに、足を運んでくださる御客様には申し訳ないのですが、
八重山民謡のまねをしたようなものを、
お聴かせしてしまうことになってしまいます。
では、なぜ、唄うのか。
僕の支えとしている言葉に、
ある意味励まされて、
それでも、聴いていただきたいと、
不完全なものを、
人前にさらしています。
「魂までまねをすることが出来たのならば、
それはもう、ものまねとは言えない。」
いつの日か、八重山の魂を、
唄えるようになりたいと、そう思っています。
04年1月のてぃだぬあがるまでぃん