ゆんたしょーらpart5(本編) |
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斉唱(写真kuwaさん) 独唱(舞台袖から) 独唱(愛の子守うた) 屋嘉部さんの与那国ションカネー 若手三人集 知名定男さん(写真kuwaさん) 県外「お弟子ーず」(写真kuwaさん) 奄美からのゲスト エイサー隊 |
大工先生の5年に一度の「ゆんたしょーら」、5回目ということは、25年ということである。自分がその中にいる、あるいは「いた」ということが、まだ、信じられないでいる。 舞台は、大工先生御夫妻の「じらば」から始まった。プログラムに掲載されていないので、内容はわからないが、胸に染みいってくるような唄声だった。 次に、91名による斉唱「鷲ぬ鳥節」「目出度節」。書いてしまえば、そんなもんだが、演奏する立場となると、やはりそれなりに大変、であった。間奏の回数、節回しや発音の統一、中弦の調弦、尺の音の統一、だけではない。殆どのメンバーが初顔(音)合わせという条件の中で、ピッタリと合わせていくことの難しさを、あらためて感じた。しかし、リハで苦しんだ分だけ、本番はとても気持ち良く演奏できた。 続いて、プログラムでは独唱となっているが、大工先生御夫妻の掛け合いで「あがろうざ」、「高那節(独唱)」、「くいぬぱな」、「川良山節」、プログラムにはない「デンサー節」、「愛の子守うた」、最新のアルバム「結(ゆい)」を意識させる内容となっている。御結婚されて20年余ということだが、ピッタリと息の合った掛け合いは、聞いているだけでも幸せな気持ちになってくる。満員の客席も、じっくりと聞いているような雰囲気で、私語や雑音も全く聞こえてこない。 そして、コーニーズの登場。西表先生の「黒島節」、吉川先生の「夏花」、屋嘉部先生の「与那国ションカネー」、会場も聴き入っている。さすがの、存在感だ。打ち上げで、屋嘉部先生にその話しをしたら、「直前まで笛を吹いていたから、調子悪かったさ〜。」そう言えば、「あがろうざ」からずっと吹いていらっしゃいました。こういう事も、うかがって初めてわかった、貴重なアドヴァイスとなりました。 大先輩の後は、フレッシュマンの登場だ。伊藤幸太さん、モハメド・ブリさん、そして大工先生の一人息子、真司さんが、「固み節」に挑戦した。何年も前から、先生に弟子入りを希望して、大学生になってやっと思いがかなったという、幸太さんの唄からは、意志の強さが伝わってきた。 この後、着替えのため楽屋に戻ったので、正確でないかも知れないが、ここで、知名定男さんが友情出演、「ひんすーじゅり小」を唄ったと、記憶している。 そして、大工先生のソロで、「新与那国ションカネー」。たっぷり聴かせて、第1部終了。 第2部の幕開けは、県外弟子28名による「ゆんたしょーら」とプログラムにはない「デンサー節」。この、デンサー節は、先日ブリさんが、大阪に来られた時に、みんなで演ったヴァージョンで、振り付け有り、歌詞は替え歌、というものだった。歌詞が決まったのが木曜日のリハーサルで、自宅にファックスで送られてきた。それは、まだいい方で、この日に、初めて知ったという方もいた。だから、新しいことを覚えるのに時間のかかる、僕たち中年組は、冷や汗タラタラ状態であった。それに、引き替え女性陣の元気なこと。ギャルパワーが炸裂した舞台となった。 他のお弟子ーずのサイトに、アップされていないようなので、歌詞を紹介しておこう。 上原ぬデンサー 昔からぬデンサー 肝心いざば すきゆ給り デンサー 「ゆんたしょーら」は、「結」ヴァージョンで手拍子、ここで、先輩の、小林先生と小林明さんが、メチャかっこいい合いの手を、絶妙のコンビネーションで披露。さすが、の、迫力。八重山民謡の奥の深さをまたひとつ感じた瞬間だった。 続いて、奄美からのゲストのステージ。実は、これも、密かに楽しみにしていた、プログラムのひとつであった。坪山豊さん、皆吉佐代子さん、そして期待の若手、中(あたり)孝介さんである。演目は、「嘉徳なべ加奈節」、「綾はぶら節」、「ワイド節」。奄美の島唄独特の裏声が、満員の会場に響き渡っていった。 そして、うちなージンタと名付けられたコーナーに移る。ゲスト出演の、渡辺勝さん、ロケットマツさん、関島岳郎さん、中尾勘二さん、船戸博史さん、松村孝之さんとのセッションによる、軽快なステージだ。演目は、「マクラム道路」、「つんだら節」、そして山之口貘の詩による「生活の柄」。ロケットマツさんとお会いするのは、和歌山、大阪に続いて、今回で3度目、「こいつらどこに住んでんねん(注:マツさんは関西人ではありません)」と思われているかも知れない。 会場が温かくなってきたところで、エイサー隊が登場した。ぐしちゃん青年エイサー隊である。演目は、宮良長包作曲の「汗水節」と「えんどうの花」。このあたりの選曲が先生らしい、と書けば、失礼に当たるだろうか。先生の、唄に対する姿勢が、そのまま、あらわれているような気がした。 エイサーで盛り上がった会場は、そのまま一気に、フィナーレへと向かう。「豆とーま節」、「みなとーま」、そして先生が唄われるのは初めて聞いた「さよなら港」、「満州娘」、「とぅばらーま」、「くいちゃ踊り」、最後に全員で「安里屋ゆんた」。 大きな舞台で、全国の先輩の皆さんに、胸を借りることができた、ということだけでも、貴重な体験となったが、平日の那覇に、これだけの弟子が、全国から自発的に集まってくる師匠は、とにかく、すごい、と、あらためて感じた、舞台でもあった。 先生、諸先輩方の皆さま、そして、実行委員会スタッフの皆さま、本当に有り難うございました。 |
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