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19人乗りのプロペラ機 竹田荘 一の松寿司の上にぎり 時空翔 新鮮な魚介三昧の夕食 一日目の夕日 朝食 賽の河原 鍋釣岩 うにまるモニュメント 二日目の夕日 祭りののぼり 子供御輿 大太鼓を載せた山車 |
1日目 宿のご主人に迎えに来てもらい、車で宿に向かうと5分と経たないうちに到着した。宿は青苗地区の高台にある「民宿・旅館竹田荘」で結構大きい宿だった。通されたのは2階の4.5畳の部屋で、1人には丁度いい広さだ。荷物をほどくと、昼飯を食いに漁港のそばにある「一の松寿司」という店へ行った。 時間がかかると言われたが、他の店を探す元気も無いので待つことにする。かなり忙しいらしく、店の主人が山のような注文を前に次々に寿司を握っていた。注文した上にぎり(中トロ・海老・ヒラメ・帆立・紅トロ・海胆・イクラの握りに海苔巻が2つ、お吸い物)が出てきた。大阪に比べるとネタがかなりぬるいのに、こちらの方が各段に美味い。初めて美味しい寿司が食べることが出来た気がする。値段も1470円と内容の割に安かった。 昼食を済ませると散歩に出かけた。この青苗地区は8年前の地震の際、津波と火災で大きな被害を受けた場所だ。集落の辺りは岸壁より少し高い位置にあった。これも津波に対する対策の1つらしい。そこから南へ行くと、青苗岬周辺に徳洋記念緑地公園というのがある。そこに「時空翔」という慰霊碑があり、亡くなった方の名前が並んでいて、それを見ると痛ましい気持ちになった。次に「津波館」へ行くと、青苗の子供達が津波の際の様子を書いた作文が展示されていた。それを読むと津波の恐ろしさがいやというほど伝わってきた。気分が下がり気味になったが、気をとりなおし岬の突端へ行った。天気が良いので遠くに渡島大島が見える。海の水も透き通っていてきれいだ。 夕食まで時間があるのでジョギングに出かけた。久しぶりなのですぐに息切れしてくる。まだ少し昼間の暑さが残っていたが、なんともいえぬ気持ちの良い風が吹いていたので気分良く走る事が出来た。 風呂からあがって暇つぶしに三線を弾く。気分の良いところで夕食が運ばれてきた。新鮮な魚介類や野菜をふんだんに使った料理を、ビールを飲みながらおいしくいただいた。夕食を済ませると18:30くらいだったので、カメラを持って急いで夕陽を見に行った。宿からすぐ近くの西の浜辺へ行くと、ちょうど陽が落ちようとしていた。残念ながら雲がかかっていて、水平線に落ちるのを見ることが出来なかった。それでもなかなかいい眺めだ。陽が落ちると結構冷え込んできたので、急いで宿へ戻った。 2日目 今日は島を1週するために、レンタカーを予約していた。軽自動車でよかったのだが、これしか無いと用意されたのが少し大きめの4ドアの車だった。乗る前に聞いていたが、ブレーキを踏んだときの音がすごい。大丈夫だろうかと少々不安になりつつ出発する。 青苗より北上して、無縁島・ホヤ石・モッ立岩・カブト岩などを見ながら進んでいく。途中で釣りやキャンプをしている人を時々見かける。さらに進むと北追岬公園に着いた。ここには彫刻家「流政之」氏の彫刻が4基置かれている。彫刻「北追岬」の辺りからは、神威脇漁港が見おろせる。そこには温泉があり、行ってみたが休みで閉まっていた。 幌内の町を抜けて山道を上がっていくと、「八十八曲り」というところにさしかかった。文字通り急カーブの連続だった。そこを抜けると島の最高峰「神威山」の登り口に来た。上まで登りたかったが、山頂に自衛隊の基地があるため、やむなく断念して「球島山」(たましまやま)へ向かう。駐車場があり、山頂までは2、3分位で上がる事が出来た。そこからは、奥尻島の北側と東側の海、遠くに北海道大陸の西海岸を望む事が出来、なかなかいい眺めだ。 そこから北へ向かって坂を下り、少しグリーンがかったきれいな青い海を眺めながら、島の最北端稲穂の岬へ向かう。そのあたりは賽の河原と呼ばれ、海難犠牲者や幼くして死んだ子供たちの霊を慰めるために積み上げられた石が並んでいる。 そこから南下して、今度は宮津弁天宮へ行った。そこは、海に突き出した岩山の上に社が建っていた。すぐそばの駐車場より続いている階段はかなり急なので、高所恐怖症の私は手すりに掴まりつつ恐る恐る進んでいく。よくこんな場所に社を建てることが出来たものだと感心する。 ちょうど昼時なので、昼飯を食べるべく奥尻の町を目指す。フェリーターミナル付近にさしかかって、駐車場らしき付近に入っていくと係りの方に制止された。どうやらフェリーに乗りこむ車の列に紛れ込んだらしい。(フェリーターミナルの方、ごめんなさい) 一般駐車場に車をとめ、「シーサイドもりかわ」という店に入った。そこで「ミニうに丼」と「もりそば」を食べた。うには食べ過ぎると胃もたれしそうだったので、ミニうに丼はちょうど良い量で美味かった。 食事を終えさらに南へ進み、鍋釣岩へ。海岸のすぐそばにアーチ型をした岩が立っていて、干潮時には渡れるらしい。8年前の地震の際に岩の上部が崩れていたらしいが、その跡は見えなかった。 次に「うにまるパーク」へ。ここにはうにをかたどった「うにまるモニュメント」と「佐藤義則記念館」があった。最後に青苗の集落にある民族資料館に行ってみたが閉まっていた。 風呂を済ませ、三線を弾いてくつろいだ後、夕陽を見に行った。今日は見事に水平線に落ちる夕陽を見ることが出来た。夕食は昨日とほぼ同じメニューだった。 3日目 宿の近くへ戻ってくると、太鼓や笛の音が聞こえてくる。今日は一昨日から続く祭りの最終日で、宿の女将さんが午後から宿の前辺りを通ると教えてくれたので、昼からは宿の前でそれを待つことにする。その前に「くれよんはうす」というファミリーレストランへ昼食を食べに行った。海胆・海老・帆立・イカなどが入った海鮮ラーメンを食べる。具が出し惜しみすることなく大量に入っていて、これも例に漏れず美味かった。三線を弾いたりしつつ、祭りの行列が来るのを待つ。 14:00を回った頃、天狗の面をかぶり腰に刀・右手に槍を持った人を真中にのぼりを掲げた羽織袴の人たちを従えてやってきた。一軒一軒くまなく周り商売繁盛の祈願・厄払いなどを行っている。その後に大御輿・子供御輿もやってきて、同じように一軒一軒練り歩いた。最後に真中に大太鼓を載せた山車が、メインストリートをゆっくり進んでいく。大太鼓は、女の子二人が両側からリズム良く叩いている。山車の周りを2,3人笛を吹きながら歩いている。 今年72歳になるという宿の大女将さんによると、物心ついたときにはこの祭りはやっていたというので、結構歴史は長い。大女将さんの話では、「民宿旅館竹田荘」は農家の3代目にあたり、先祖は東北地方より積丹地方を経てこの地に移り住んだそうで、いまだに農業と兼業で旅館をされている。この日も水平線に落ちる夕陽を眺める事が出来た。今晩で最後の夕食、生うにが惜しげも無く大盛りで出てきた。これで何個分になるのだろうか?せっかくなので、ゆっくり味わっていただいた。 4日目 散歩を終えるとまだ時間があったので、三線を持って西の浜へ行った。すぐ前の防波堤にとまっている海鳥達をギャラリーに、安里屋ユンタ・十九の春などを次々に弾いていく。気分良く一通り弾くとちょうど昼時だったので昼飯を食べに行った。 昼食から戻ると、宿に地震や津波の際の記録集みたいなものがあったので、帰るまでそれを見せてもらった。それには災害直後の生々しい写真が数多く掲載されていた。 帰りの飛行機から、離陸直後に空港のそばの海を見下ろすと、底まで見渡せるぐらいのきれいなグリーンがかった海が見えた。今度来る時は、このきれいな海で泳ぎたいと思う。 |
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