第4回・琉球民謡音楽協会芸能祭の旅 |
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※写真は、随時、追加していく予定です。なお、掲載許可はまだもらってません。すみませんm(_ _)m |
民謡コンクール合格発表のすぐ後、会場の西原町公民館で声を掛けられました。「takarinさん、芸能祭どうされますか?」 芸能祭では、その年のコンクール合格者が成果を発表する場として、演奏の機会が与えられます。つまり、2年前、新人賞に合格した際に出演する機会があった、ということになります。 その時は、「県外者は可能な者は出演するように」という配慮をいただいたこともあって、結局出演しませんでした。気持ちの中で、まだ、沖縄を遠くに感じていたのも事実だったと思います。 「今年は、出させていただこうと思います。」今回は迷わずお答えしました。受験前から、決めていたことでした。 9月2日、台風シーズンの真っ直中、13号と14号の間を縫って那覇入りしました。あと2日前にずれても、後にずれても、飛べてなかったかも知れません。他の文章にも書いていますが、最近は、台風の動きにあまり敏感ではなくなりました。「飛べなかったらしょうがない、飛べたら有り難い。」という感じです。 2日の夜、研究所の練習会場「アルテ崎山」で大工ネット内のリハーサル、今回はかなりの人数が参加したため、コンクール直前のレッスンのような熱気で、終了後、食事にとホテルを出た時には、すでに日付が替わっていました。 宿泊は「ロコイン松山」、今回が初めての利用だったのですが、かなりいい感じでした。旅の達人コニタンが、「ええでっせ」と言うだけはありました。24時間オープンのフロントスタッフの応対は当然◎、インターネットで予約&問い合わせも可能、ロビーには、無料で利用できるパソコンも設置されていて(なぜか、血圧計もあってさ○えちゃんや○っちゃんにはこっちの方が人気でしたけど)、特に今回は台風情報を得るのに大いに役に立ってくれました。次ぎも泊まりたい宿の筆頭です。 翌朝は、10:30に会場集合です。眠い目をこすりながら移動、外は、まだ台風が来てるとは思えないお天気です。会場は、那覇市民会館大ホール、三味線を習い始めた時に、いつかはと憧れたステージに立てるわけですから、自然と眠気も覚め、気持ちも高揚してきます。 最初にびっくりしたのが、控え室。「中ホール」が、「丸ごと」、「控え室?」マジですか?時間前には到着していたのですが、すでに、いくつものブルーシートが広げられ、かなりの方が来られていました。「おはようございます。」と、みなさんに挨拶しながら進み、実は、大工ネットの場所を探します。「中ホール」と言っても、かなり広いのです。 やっと見つかってひと安心、さて、そろそろ始まるのかしら、と、キョロキョロしてみたのですが、何となく、その気配はなし。と、休憩モードで、ゆんたくしているうちにゾクゾクとメンバーが到着、再会や初対面の御挨拶が続きます。 下が、ブルーシートということもあってか、なんだか、遠足気分のようになってきたところで、「八重山組のリハーサルです。」そうそう、リハーサルです。と言っても今回は、新人賞以来ずっと唄ってきた「つぃんだら節」と、前の年に同じ場所で唄った「ゆんたしょーら」定番の「安里屋ゆんた」そして初めてですが馴染みのある「猫ゆんた」、しかもゆんたは手拍子と唄だけの参加と聞いていたので、ややリラックスモード、のハズでした。 「takarinさん、ゆんたの三味線できません?」「へっ?練習してきてませんよ。」「御願いします。」「・・・。」ひとり、ブルーシートを離れて、邪魔にならないように、外のベランダ?で猛特訓開始です。なんか、コンクールの時と似てるなぁ(待ち時間に、控え室の縁側で何度も練習しました。)。 孤独を感じる間もなく、リハーサルは、断続的に繰り返されます。「つぃんだら節は四(C)ゆんたの調弦(チンダミ)は、五(C#)でいきますから、間違えないように、事前に調弦室で合わせてください。」最終的なチェックもどんどん入ってきます。決まったことをみんなでこなす、ということではなく、みんなでよりよいものを作り上げていくという、そういう方法なのですね。リハーサルで大きな変更があるとかなり緊張はしますが。 午後になって、舞台でのリハーサルも始まり、少しずつ緊張感も高まってきます。かなりの人数が繰り返し移動するため、舞台袖は常にごった返していて、スタッフの皆さんも相当な労働量です。コンクールの時に、お世話になった先生も何名もいらっしゃいます。ここでも、「みんなで作り上げる」ということを感じました。 リハーサルと本番の間には授賞式があって、合格者にメダルと賞状が授与されます。何となく、学校の卒業式のような雰囲気を想像していたのですが、ある意味同じようで、別の意味で全く違うものでした。合格したわけですから、みな晴れやかな顔をしています。そういう意味ではみな同じです。しかし、年格好がバラバラです。階段を上って賞状を受け取るまでの動きに、その人の人生が感じられる、そんな方が、何名もいらっしゃいました。 そして、最高賞に合格された方を含めて、目の不自由な方が、10名以上いらっしゃいました。彼、彼女たちは、楽譜(工工四)が読めないのです。日頃、自分の練習不足を棚に上げて、工工四を眺めては、ブツブツ言ってる自分のことをとても恥ずかしく感じました。 もちろん、自分も壇上で賞状をいただいたのですが、授賞式の服装は「琉装、バサーおよびムイチャーは不可」と決められていました。つまり、手持ちの衣装の中では、「着流し」しかありません。そう、コンクールで初めて不合格となった時の衣装なんです。控え室で袖を通した時に、その時の事がよみがえってきました。札幌の先輩が「コンクールは1度くらいは、落ちた方がかえって自分のためになりますよ。」と、言って下さったことを思い出しました。そんな事をすべて包み込むように着付けして、授賞式に臨みました。 さて、18:00からは、いよいよ本番です。大きなホールなのですが、1階席は始まる前からほぼ満席となっていました。実は、もう少し他の演目を見学出来ると思っていたのですが、色々することがあって、「つぃんだら節」までは、ほとんど見ることが出来ませんでした。 大工ネットから裏方さんとしてサポートしてくださったこーたくんから、進行上の連絡が次々に入ります。「次ぎ、つぃんだら節の準備御願いしま〜す。」「もうそんな時間ですか?はいはいっ!」っと、三味線かかえて、調弦室に急ぎます。リハーサルの時には、調子笛の音をもらって、自分で合わせたのですが、本番は、担当の先生が合わせて下さいました。「きれいな音がするね。」と声を掛けていただきました。本番前でなければ、もう少しお話しをうかがうことができたのですが。 万事がこんな感じで、ずっと心地よくサポートされていたこともあって、もちろん、多くの先輩方と一緒だった事もあって、大舞台のわりには、目に見えて緊張することもなく、リラックスして演奏することができました。 ただし、あんまりたくさん出てるわけでもないのに、何か、忙しい。「つぃんだら節終わったら、すぐにバサーに着替えてくださ〜い。」またまた、こーたくんの声が飛びます。「足袋脱ぐの忘れないでくださいね〜、たまにいますから、そういうひと。」 ということで、もう後半終了間際の「ゆんたしょーら〜猫ゆんた〜安里屋ゆんた」です。「三味線のひとは、早めに準備して調弦室に行ってくださ〜い。混んでいて、出番に間に合わなくなったひともいますので。」「はいはいっ。」(そんなことより大丈夫かいな、暗譜。いざとなったら、例の方式で行くしかないなぁ。「弾く時は唄わない、唄う時は弾かない。」せやけど、これ、DVDになるねんし、そんなことしたら後でばれるなぁ。と、ひとりごと) 結果、本番が一番出来が良かったのでは、と思われるぐらい、先生方の評判も良かったらしいです。何か、直後に誉められていたような・・・。 結局、ちゃんと聞けたのは、大工ネット研究所の有馬さんが独唱された「中筋ぬぬべーま」と、師範の先生方の独唱でした。最後の、大工先生の「夏花〜さこだあっぱ」が、やっぱり一番かっこ良かったです。客席で余韻にひたってしまったおかげで、「何してるの、フィナーレだから、早く、楽屋に行ってっ!」と、進行の先生に注意されてしまいました。 最後は全員で「兄弟小節」なんですが、唄えないので手拍子のみの参加となりました。 結局、「アッ」という間の、と言うよりは、怒濤のような、3時間でした。が、まだ終わってません。プログラムの最後には「全員で後片付け」が残されています。やっとバサーを脱いで、荷物をまとめて、なんやかんやしていたら、横の方から「あの〜、すみません。ブルーシート返したいんで〜っ。」と遠慮がちな声が。見渡してみると、大工ネットが、結構占拠してる・・・。「すみません。自分たちが畳んで返しに行きますので。どちらまで、持っていけばいいですか。」と、やや焦り気味。「いや〜っ、自分の師匠のモチモノなので、持って帰りたいんですが。」あれまぁ、で、冷や汗たらりん。「す、す、すみません。すぐ、片付けます。」大工ネットの誰かが用意したものとばかり、勝手に思いこんでいたのですが、大いなる勘違いだったようです。近くにいたますいさんをこき使って、あわてて、ふたりで畳んでお返ししました。大変失礼いたしましたm(_ _)m。デモナンデコノヒトボクニイッタンダロウ。 ひょっとして、こんな感じで、知らず知らずのうちに、御迷惑をお掛けしてることもあるかも知れません。万が一、そんなことがありましたら、どうぞ、お知らせ下さい。よろしく御願いいたします。そして、最後になりますが、機会を与えてくださった大工先生、サポートしてくださった研究所および関係者の皆さま、有り難うございました。心より御礼申し上げます。とても、とても、得難い貴重な体験をいっぱいさせていただきました。 追記:この後、怒濤の飲みに入ったのは言うまでもないが、まさか、翌日の飛行機が飛ぶとは考えてもいなかったため、大いなる誤算が生じ、飛行機の中ではヘロヘロであったが、自らその間の状況を暴露することはあまりにも見苦しいので他者の描写にゆだねる、ということにして、今回の旅日記を終えさせていただきます。最後まで読んでいただいて有り難うございました。 |
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