第二章「小浜節大会」その2(本選)・03.03.22.


平田大一さん(撮影は翌日)

つちだきくおさん(撮影は翌日)

写真では、それなりだが、

生まれて初めて新聞に名前と、

写真が掲載された。

入賞者の衣装に注目(撮影は翌日)

参加賞のTシャツ(円内は前面)

宿は、うふだき荘と決めていた。2年ぶりの小浜島である。キビ刈りの作業中に6000ボルトの電流が身体を通過し、奇跡的に助かった平田進さんの宿だ。前回は会えなかった御子息の平田大一さんと会えるかも知れないということも、楽しみのひとつであった。

大一さんは、南島詩人として詩集を出している。「島は海によって道をさえぎられているのではない、海によってどこにでも続く道を与えられているのだ」という一文に衝撃を受けたことを思い出す。どんな瞳の色をしてどんな話し方をする人なのかとても興味を持った人である。

夕方の本番に備えて部屋で声出しをしていると、その御本人が、突然現れた。「小野さんですよね。今日小浜節大会に出られる。」想像したよりはずっと小柄だが、眼力は鋭い、聡明そうな顔立ちの好青年である。しっかりとしたよく通る声だ。急遽司会進行役を務めることになったのだそうだ。状況を把握しようとしているのだが、集落と会場を結ぶ交通手段がないということに、少し苛立っているようだ。

民宿の多くは島のほぼ中央部にある小高い丘の集落にある。会場は、はいむるぶしというリゾート施設で海岸沿いにあり、徒歩ではまず行けない。仮に行けたとしても、帰りは真っ暗の中、坂道を登ってこなくてはならない。逆に、宿泊しない日帰りの客向けには、「ちゅらさん祭きっぷ」というのがあって、港から会場までの往復バス券がついている。

つまり、はいむるぶし以外の宿泊客にはちゅらさん祭に来てもらわなくてもいいということになる。はいむるぶしは県外企業の経営である。島人の立場で言えば、わざわざ泊まってくれた客が、ちゅらさん祭に行けないというのでは格好が付かない。大一さんが説得したらしく、30分後には、島内放送がちゅらさん祭行きの臨時バスの時刻を告げていた。

早めに会場に着いておく必要があった私達は、結局、大一さんの車に便乗させてもらうことになった。会場までは、車で10分強、やはり歩くというのは現実的ではなさそうである。昼間は大分暑いらしく、控えの部屋には冷房が入っていた。衣装が分厚いものではなかったので、やっぱり八重山は暖かいなと、この時はそう思ったのだ。

大会の進行についていくつかの注意を受け、胸に番号札を付けたところで少し緊張してくる。が、その付けた番号札が良く見るとはいむるぶしのコースターである。らしい仕様にニヤリとする。三味線の音を合わせて、いよいよ、会場に向かう。少し肌寒くなってきたので薄ものを羽織ったのだが、これも間違いであった。

特設ステージの脇に控えのテントがあり、つちだきくおさんがいた。九州から移住してきたシンガーソングライターで、この大会の事務方として、私の送ったメイルやテープなどに対応してくださった方である。初対面の御挨拶をして御礼の言葉を述べていると、もう、特設ステージは本番モードに入っている。

島の唄い方で小浜節の踊りが演じられた後、いよいよ、小浜節大会が始まる。空が少しずつ暗くなっていく中、小浜節が響いていく。みな美しい調べを醸し出している。やっぱり島で聴くのはいいな〜っ、と自分が出ることも忘れかけて聴いていたのだが、3人目あたりから、急に気温が下がってきて、我に返った。体が硬くなっていくのがわかる。

これでは、声が出なくなるかも知れない。すでに、手の指が震え始めている。持って来たものを全て重ねて着てちょうどいいぐらいの寒さである。他の出演者の方も、手足をさすっている。こういう時には、「しまー」なのだが、小浜節大会ということかどうかはわからないが、どこにもない。

極度に冷え切った状態で、順番が回ってきた。これはもう唄う前からダメである。おまけに、多分気温を下げている張本人の風が、ステージの真向かいから真っ正面に身体にぶつかってくる。歌い終わった時には、足までガクガク震えてしまっていて、せっかくインタビューを振ってくれたつちださんが「本当に寒そうだね〜っ。」と言ってくれるのがやっとだったくらいである。完全に風邪をひいてしまうだろうと覚悟した。

本来唄っていて気持ちの良いのが小浜節なのだが、そんなわけでちっとも気持ちよく唄えなかった。しかし、仮に気持ちよく唄えていたとしても、入賞は無理である。審査委員長によれば、審査の基準は「発音」「声量」「音程」「音切り」「リズム」「情」だそうで、発音から審査されているのだ。よそ者がちょっとまねごと程度に練習してもかなうはずがない。

途中から差し入れされた「しまー」を生で3杯ほどいって、やっと身体が温まってきたころ、出場者全員で小浜節を唄ったのだが、これが、最高に気持ちよかった。三味線は、地方(じかた)の方が受け持ってくれて、上手な人たちの中に混じって唄うのである。自分はこれだけ上手く唄えるんだから、寒くさえなければ入賞してたかも、と錯覚を起こすほどであった。

控え室に帰ると今度は暖房が入れてあった。やはり、こちらでも相当冷えたらしい。八重山の普通の家だったら暖房器具なんて無いからだ。着替えていてふと、最優秀賞を取られた方の衣装を見ていると、分厚い。更に、中に3枚は着込んでいる。こっちは1枚である。となると、気になるのは、優秀賞と優良賞の方。3人の衣装を見比べて思わず声を出しそうになった。みんな、ほとんど同じなのである。帰ったら、早速衣装の研究もしなくてはならない。

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