旅の空で考えた・03.01.05.

ここ3年ほど、私にとって旅と言えば「沖縄」「八重山」へのそれであった。大阪を出てから帰るまでを1回と数えても9回行っている。実際には、1行程の間に船や飛行機で別の島に移動しているので、体感的には、もっと頻繁に訪れているような感覚がある。

過去にも書いたが、私にとって「沖縄」や「八重山」は旅行で訪れるところと言うよりは、「帰る」場所と感じてしまうことが多い。実際に、初めて訪れる場所は、どんどん少なくなってきているし、2度目以降に訪れた場合、まず、知っている人や町並みに会いたいと思ってしまうのだ。盆や正月に田舎へ帰った時の感覚と似ている。

ひとつ大きく違うのは、沖縄や八重山に親戚や旧友ははひとりもいないということだ。それでも何度か訪れている間に、知り合いも増え、旅人とも顔見知りになる。それで、ますます身近に感じるのである。この旅日記の写真を見ていても、最近のものには、名所旧跡の類がほとんど写っていない。代わりに、人が写っているものが増えてきている。誰かが撮ってくれることも増えたので私が写っているのもチラホラある。

年に1回故郷で同窓会をしているというイメージに似てきていると、自分では思っている。そして、それはとても心地よい感覚なのである。「旅」が「かつて経験したことのない非日常的な出来事や出会ったことのない人や場所、出来事と出会うこと(※1)」であるとすれば、私の旅はもう「旅」ではなくなってきている。

かと言って、実家や兄弟への顔見せも省略して、親戚に会いに行くわけでもお墓参りをするわけでもなく、旧友に会うわけでもなく、しょっちゅう「故郷」に帰っている「私」という存在を外から見てみると、何とも理解に苦しむ行動パターンをとっているのである。

私にとっての「沖縄」や「八重山」を今一度考え直して見る必要があるのかも知れないと感じている

(※1)岩波国語辞典によると「旅」とは、単に、自宅を離れてよその土地へ行くこと。旅行。となっている。私の考えすぎか?

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