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ハイビスカス 天文台へ続く道には蝶や花が多い 楽園にいるようだ 果ての果ては、海、海、海 左が北、22:30頃の春の空 切手も買える売店 車には三味線が常備 夜空に響き渡る周二さんの声 |
4月28日、朝から、すっきりと晴れ渡り気持ちがいい。今日は「さとうきび」の日である。役場の村内放送が、多分さとうきびの事をしゃべっていのだろうが、内容は聞き取れない。波照間はさとうきびの島でもある。朝御飯を食べて、「ボーッ」としている間に、誰もいなくなってしまった。ダイバーは朝が早いのだ。しかし、おかあさんまでいない。 どうしたものか、考えあぐねていると、近くでトンカンと音がしている。裏にまわってみると、お父さんが物干しに屋根を葺いていた。前日、おとうさんの手がペンキで汚れていたのは、このせいだったのだ。島男は器用でもある。「自作ですか」と声を掛けると、「何も(仕事)してなくて暇だからよ。」。シャイなおとうさんである。邪魔すると悪いので、自転車を借りて、出掛けることにする。 「けだもと荘」の場合、玄関に「1時間100円」と書いてはあるが、無料である。が、メインテナンスは十分とは言えない。調子の良さそうなのを選んで、漕ぎ出す。目的がないので、ゆっくりと島の風にあたる。ブラブラしていると、周二さんの家があった。自転車で廻れる島なのである(子供以外の島の人が乗っているのを見かけたことはないが)。 少しばかりためらったが、声を掛けてみることにした。周二さんの奥さんは県外の人である。7月に初めてのお子さんを出産予定なのだが、元気に洗濯物を干していた。挨拶をすると、覚えてくれていた。周二さんは、仕事で留守だったが、訪問の意図を告げると、「じゃぁ、言っときましょうね。」、もう島言葉になっている。 何となく幸先がよかったような気がしたので、天文台まで足を延ばすことにした。正月は、閉館していたので、今回が初めての見学となる。2階のプラネタリウムで、春の夜空を眺める。1人だったので、床に寝っころがって、天井を見上げる。何回か説明のテープを聞きながら、遠い昔、小学生だったころを思い出す。3階にあがって、外に出てみると、太平洋が見渡せた。ここより南には、遙か赤道近くまで島はない。まさに、「果ての」「うるま(珊瑚島)」である。「波照間ぬ島節」を口ずさみながら、港へ向かう。島で歌うと格別に気持ちがいい。 港の待合所で「八重山そば」と「泡波の水割り」を注文したら、何かおかしい。水割りのグラスが、小さくなっているのである。もっとも、今回のサイズが適量で、正月の馬鹿でかいコップは、振る舞いだったと言うことなのだろう。シャワーを使いたかったので、汗を拭き拭き宿に向かう。と、何と周二さんに会ってしまった。満面の笑顔で手を差し出してくれた周二さんは、牛に水をやりにいく途中だった。「後でね。」と別れて、宿に帰る。ようやくどつぼから抜け出した気配である。 沖縄の場合5月ともなれば、真昼間は外を歩けない。八重山なら尚更である。天気がよければ、ほぼ垂直に最短距離を飛んできた直射日光が、露出している肌を容赦なく、ジリジリ焼く音が聞こえてくるほどの痛みを感じるのに、10分は必要ない。かと言って、肌の露出を完全に避けるのは不可能に近いし、第一暑い。それで私は、昼の2時間を昼寝に充てることにした。もちろん前日の睡眠不足を補うという意味もある。日陰にさえいれば適度に風が吹いて過ごしやすい。私はあっと言うまに、眠ってしまった。ちょうど2時間ほど眠っただろうか。少し日差しが弱まったようなので、散歩に出掛ける。はがきを出そうと思ったのだが、切手がなかったのだ。 おかあさんに聞くと、郵便局ではなく、近くの売店に行けという。売店は、昔のコンビニと言ったところか日用品が揃っていて、切手を売っていただけではなく、ポストまであった。ひとまわりして、宿に戻ってみると、おかあさんが、「今日、周二さんの野外ライヴがあるけど、あんたも行くか。」。行く、行く、行きます。集落の中で騒ぐと具合が悪いので、周二さんの牧場で集まるらしい。そうなると練習しておかなければならない。 車で迎えに来てくれるということなので、待っていたのだがなかなか来ない。しょうがないので、宿で前座を務めさせて頂くことにした。観客は、ライヴに行く人2人と、行かない人2人である。前座にとって不足はない。皆聴いたことがないというので、行かない2人のために「波照間ぬ島節」から始める。続いて行く2人のために、周二さんが、まず弾かないだろう曲を何曲か演る。「満月の夕」を知っていたので、話を振ったらソウルフラワーユニオンの隠れファンだった。おかあさんが、「今の曲は何ていう曲。」と入ってきて、ゆんたくしていたら、周二さんの奥さんが迎えに来てくれた。 月明かりのデコボコ道を、車輪に何かを巻き込みながら飛ばす。とても妊婦の運転とは思えない。ふと見上げると、運転席の上に、三味線がセットされているではないか。そういえば、昼間会った周二さんの軽トラックにも、三味線が積んであった。「ナヴィの恋」そのままである。会場では、すでに宴が始まっていて、月見の様相を呈している。月が明るすぎて、星が見えないのが残念だが、周二さんのすぐ後ろに月があって、演出効果万全だ。周りに人家はない。 月明かりの中、周二さんの唄声が響きわたり、タイムスリップしたような気分になる。50年ほど前までの人たちは、こんな風にして遊んでいたのだろうか。アッという間に1部は終了し、続く第2部の最後に、「波照間ぬ島節」を周二さんに合わせて唄う。 休憩の間に、周二さんが来てくれて、「唄は、覚えたな。後は三味線が、弾けたらいいんじゃないか。」と言ってくれた。何だかホッとしたからか、第3部で久しぶりに「カチャーシー」を踊る。いい夜だ。 |
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