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看板は本当は外壁についている 海人の家だろうか 石垣に丸瓦の家も多い 地元が誇るキビ畑 最南端の碑 星空観測タワー 果てのうるまの島の果てには 道端でのんびりと雑草を食べるヤギ 波照間船客ターミナル オリジナル(?)のそば・500円 「絶滅まであと4日」のコピーが 左が泡波、上のTシャツが拡大図 デンサー節の共演 波照間の踊り(演者は全員宿泊客) 後冨底周二さんと慶田本さん 周二さんは古典の先生でもある 岡さん、有り難う! |
2日もうっすらと曇っていて肌寒い。部屋でダラダラしていたいところだが、宿を移らなければならない。2日の宿は、けだもと荘である。どういう由来か気になったが、宿のオーナーが慶田本(けだもと)さんだった。家族経営のこじんまりとした宿である。いつもなら連泊するところを移ったのは、どちらもその日しか空きがなかったからだ。荷物を置いて今度はちゃんと散歩に出る。 静かな街並みに年代を経た丸瓦の建物が点在している。珊瑚と石を組み合わせて積み上げた石垣もかなり残っていて、旅行者にはうれしい。沖縄一と地元が誇る砂糖きびの畑も、そこここに見ることが出来る。波照間は、観光以外の産業で経済が成り立っている数少ない島のうちのひとつなのだそうだ。 集落を離れて、南へ下ると最南端の碑のすぐ東側に、星空観測タワーがあって、興味のある人は館長代行の新城さんから、詳しい話を聞くこともできる。波照間は南十字星を見ることができる島でもある。星空観測タワーが正月休みだったので、最南端の碑から海を見ながら三味線を弾いてみる。果てのうるまから風に乗って流れていく三味線の音は、どこまで届いて誰が聞いてくれるのだろうと、ガラにもなく少々感傷にひたる。が、まもなく強風に耐えかねて移動することにする。 自転車で走っていると、牛と山羊に時々出会う。牛は牧場の柵の中にいるのだが、山羊は突然道路脇にヒョイと顔を出す。昔は休耕地を除草するために飼われていて、住民の4倍はいたということだ。草を食む姿がのんびりしていて、時間の進行を遅らせてくれる。集落の中を通り抜け、港へ向かう。泡波の振る舞い酒があると聞いたからだ。酒飲みは、タダ酒の情報に敏感である。 振る舞い酒はなかったが、船客ターミナルの食堂では、オリオンビールの生ビールのカップに、並々と注がれた泡波の水割りが300円だった。石垣なら1000円、東京なら2000円以上は下らないはずである。昼を食べてなかったので、八重山そばを食べる。平麺に紅生姜、スープはやや甘めの八重山風、定番のヒハツが添えられていないというオリジナル仕様である。波照間そばとでも呼ぶべきか。 濃い水割りに酔った勢いで、今度は西浜へ向かう。すると、ここにも三味線を弾いている人がいるではないか。しかし、当たり前だが、地元の人ではなく旅人である。私でも、自分の家の近所では絶対に弾かない。音の主は、来島8回目という波照間ファンの同宿の方だった。しかし酒が入っていても寒いので3曲ほど演って、一緒に宿に帰ることにする。 途中モンパの木というお土産やさんで、(店のコピーによると)絶滅寸前の泡波Tシャツを買う。部屋に招かれて早速三味線談義に花が咲く。そこに、宿のお母さんが加わってゆんたくしていると、星空荘で一緒だった岡崎の齋藤さんが顔を出した。すかさず、お母さんがひょいひょいとみかんを配る。 初めての島、初めての宿にもかかわらず、私はひょっとしてこの島で生まれたのではないかという錯覚に陥ってしまう。と、電話が鳴った。新年の挨拶をしているので、近所の人らしい。電話が終わってお母さんがこちらに向かって言う。「周二さんが来るよ。新年の宴会をしようね。」 周二さんとは、後冨底周二さんのことで、安室流という流派の三味線の先生である。とともに、波照間島節などの、島に伝わる唄を録音している唄者でもある。この春ごろには3枚目のCDが発売される。周二さんが、加わって座は一気に盛り上がる。知らないうちに、2間続きの部屋が満員となり、唄と踊りの幕が開いた。正月とはいえまだ4時過ぎである。 酒はもちろん泡波、と八重泉が出てくる。八重泉は波照間の酒ではないが、泡波と味が似ていることで知られている。最初の1杯は泡波を飲み、2杯目以降は八重線を飲めというのが正しい飲み方らしい。泡波は、幻の名酒と言われるだけあって、島内でも入手できる量が限られている。正月から、26時間連続して酒を飲んでいる周二さんは、最初から八重泉しか飲ませてもらえなかった。お母さんにかかれば、島唄の名手も近所の若い衆になってしまう。 しかし、いざ三味線を鳴らしはじめた瞬間から、主役は完全に周二さんである。まるで、魂が乗り移ったかのように、三味線が鳴り島の唄が紡ぎだされていく。その迫力に圧倒され、鳥肌が立ってしまった。音を紹介できないのが本当に残念である。島の宴会は何時から始まっても夜中まで続く。 岸和田から来た女性が周二さんと一緒に笛を吹き、齋藤さんとデンサー節を合わせる。名古屋から来た女性が高那節を演るというので、私も一緒に演らせてもらう。こんな満ち足りた夜を、経験したことがあっただろうか。このままいつまでも続いてほしい、そんな夜だった。 けだもと荘・09808-5-8259・竹富町波照間3114 ----------------------------------------- <蛇足・ダイバーの方へ> けだもと荘に宿泊しようと考えておられるダイバーの方は、少々注意が必要である。まず、宿のキャパシティは、10〜15人で、それを全てお母さんひとりでまかなっている(2001年1月現在)。私が宿泊した前日、つまり1月1日には、6〜8人くらいのダイバーが宿泊していたらしい(荷物の量から推測して)。 お母さんが私にいわく、「普通は断るんだけどさー、特別に頼まれたもんだから、しかたなく引き受けたけど、大変だったよー。」どう大変だったのかは聞かなかったのだが、以下は私の推測である。 沖縄を訪れるダイバーは、結構、過密スケジュールで行動する、しかも団体で。実際に、宿について5分以内にドライスーツに着替えて出ていったダイバーを私は目撃している。こういった場合、宿の人とか、他の宿泊客と交流する時間がない。 また、ダイバーは食事の時間が極端に短い(人が多いように思う)。そして夕食の後には、「ログ付け」を行う。つまり、夕食の後も交流がない(か、少ない)。さらに、朝が早いので、早く寝てしまう(宴会があっても参加しない)。 つまり、朝早くから集団で規則正しく時間通りに行動し、他との交流もせずにさっさと寝てしまう、理解しがたい集団、とまではいかないだろうが、似たり寄ったりの印象があるのではないだろうか。つまり、リズムが合わない上に、コミュニケイションがうまく取れないので、お互い緊張してしまうのではないだろうか? 念のため付け加えておくが、けだもと荘のお母さんは、ダイバーが嫌いというわけではない。むしろそれ以前の段階で戸惑ってしまうのだ。何らかの理由で、けだもと荘にお世話になることになった場合は、できれば午後のひととき(民宿が一番ヒマな時間帯)お母さんとゆんたくしてみて欲しい。しゃべってみるとなかなか楽しいお母さんである。 私は、沖縄を訪れるダイバーは、大きく3通りに分かれるのではないかと思っている。 その1:沖縄が好きで、その延長で、ダイビングも好きになったタイプ。 その2:沖縄の海が好きで、沖縄料理や島唄にはさほど興味がないタイプ。 その3:1と2の中間タイプ。 どれがどうというわけではないが、御自身で2に当てはまると自覚されている場合は、民宿ではなく、ダイヴィングサービスを利用する方が、快適にダイヴィングを楽しめるような気がする。 私の書き方がひょっとして気に障ったら、ひよっこのぐうたらダイバーが、見当違いのことを言っていると、受け流してもらいたい。間違っても、反論はしないように・・・。 えっ?せっかく波照間まで行っておまえは潜ってないのかって? ダイバーとしての自覚が足りないって?いや、ごもっとも。 ----------------------------------------- <後日談> 実は、このCDは、周二さんが島の唄を掘り起こして集成した、波照間の島唄のCDである。しかし、既に生産を終了していて、再販の予定はなく、周二さんの手元にも1枚も残っておらず、買うことが出来なかったものなのだ。何という、思いやり!感謝の気持ちでいっぱいである。 早速、聴いてみた「波照間島節」は、しっとりとして力強いいい曲だった。練習して、GWにはまた、波照間を訪れたいと思っている。周二さんにまた、おこられに。 ----------------------------------------- <参考文献> 「波照間島記」吉田久美さん・著 |
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