沖縄・コザ編2・01.07.21〜22


今帰仁城跡

フクギの並木道

藍風

手仕事の巾着

でいごホテル

215号室

扇風機が回っていた

入れ墨屋

照屋林助三味線店

ナーベラー定食・600円



なんた浜(午前3時過)

ここでしか買えない

潭亭

そば御前

自家製ヒハツ

宿を出て西へ向かう。今帰仁村は、本部半島の北東に位置するので、半島をくるっと回ることになる。すぐに、今帰仁城跡に着いた。世界遺産に登録された城跡のひとつである。石を積み上げた壁が延々と続いているのを見るだけでも面白い。失われた建物が惜しまれる。蛇足だが、「なきじんじょうあと」と読むらしい。暑いので長居できない。さらに、西に進む。

今帰仁城跡管理事務所・0980-56-4400

半島の北西の端に備瀬という集落がある。フクギの並木で知られる静かな土地だ。しかし、集落に入る道がみな通行止めになっている。行ったり来たりして最後に、人がいるところで訊いてみた。夜に花火大会があるため規制しているとのことだった。並木が見たいと言うと通してくれた。しかし細い道の片側が全てブロックされていて、車を止める場所がない。散歩しようと思ったがあきらめて集落を出る。

西の端まで来てしまったので道沿いに南下する。時計は11時、ちょうどいい時間だ。わざわざ大回りをしてきたのには理由がある。「岸本食堂」である。前に来た時は昼頃だったので、店の外に行列が出来ていた。この暑さの中で並びたくなかったので、早めにきたのだ。メニューは相変わらず「大」と「小」だけである。昨日「てんtoてん」で食べているので、味を比較するのも楽しみだ。こちらは少し濃いめのはっきりとした味である。このあたりまで来るとどちらが旨いかは決められない。食べる側の好みである。首里の「首里そば」・「御殿山」と併せた4軒が私の好きな「木灰手打ちすば屋」である。(うちなーすば大好き参照)

岸本食堂・本部町渡久地5・0980-47-2887 

本部を後に今度はコザに向かう。半島の真ん中あたりに琉球藍の工房があった。琉球の藍は種類の異なる原料を使う。併設されているショップには、喫茶部門があって休憩もかねて品物を選ぶことが出来る。買い物をする場合は、期間限定だがJALのクーポンで10%割引になる。三味線の小物を入れる巾着を求めた。二重になっていて縫い目がほつれたりしないように作られている。丁寧な仕事を見るのは気持ちが良い。

藍風・0980-47-5583

コザの宿は、でいごホテルである。前回とても気に入ったので同じ宿を取ったのだ。部屋に入ってびっくりした。とにかく全てが大きいのだ。天井は高いし、風呂は広い、ベットの数も多い。前回泊まった部屋よりさらに大きかった。おまけに部屋の番号は「215」私の誕生日の数字である。

デイゴホテル・沖縄市中央3-4-2・098-937-1212

少し休んで散歩に出かける。ホテルのすぐ横手にあるショッピングモールに入り「照屋楽器店」を覗く。店頭に嘉手苅林昌さんの追悼講演のポスターが張ってあった。登川誠仁、知名定男、大工哲弘、嘉手苅林次、大城美佐子、山里ユキ、饒辺愛子(敬称略)・・・、ひょっとしたらもう2度と見ることが出来ないかもしれないオールスターの競演である。見れないのが悲しい。

古い町をぶらぶら歩いていると色んなものに出くわす。最新のファッションをディスプレイしている店の隣に入れ墨屋があったり、集会所に子供の習字が張ってあったりする。ひっきりなしに客が出入りしている天ぷら屋の横では、すでに縁台が出て、ビールを飲んでいる。町に生活があって時間がゆっくりと流れているのだ。

宿への帰りがけに、照屋林助三味線店に寄ることにした。ちょっと迷ったが思い切って扉を開ける。大柄な男性が出てきた。この人はきっと照屋林二郎さんに違いない。照屋林助師匠の次男にあたる人だ。やっぱり止めとけば良かった。しかし今更帰るわけには行かない。「ネーネーズの工工四を探しているんですが?」一瞬間をおいて彼は答えた。「ん〜、見たことないね。そのジャンルのものは、無いんじゃない。林賢のもないよ、今作っているらしいけど。」緊張で汗が噴き出してきたのがわかった。私は挨拶もそこそこに後ずさりをするようにして店を出た(※)。

沖縄の夕食は食堂がいい。安くてボリュームたっぷりの定食があるからだ。ぶらぶらついでに探したが沖縄料理の店は他に見つからなかったので、前と同じ「次男」で食べることにする。夜は民謡酒場に行く予定なので、予算も節約できる。

食堂次男・沖縄市中央1-17-14・098-938-2510

いったん宿に帰って、11時頃にまた街に出る。深夜近くだというのに人が多い。コザの夜はこれからなのだ。かなり歩いて、「姫」の扉をたたく。ステージの上から声がかかる。「休憩しようと思ったけど、新しいお客さんだからもうちょっと演りましょうか。」大阪では考えられない。

「姫」は我如古より子さんの店である。かつては嘉手苅林次さんも出演していた業界では知られた店だ。こぢんまりしているが、居心地がよく、女性の1人客でも安心して入れそうな店である。実際に東京から1人で来ている女性客もいた。我如古さんが出張中だったせいかどうかはわからないが、次のステージでは、客を盛り上げようという熱気がさらに加速した。ついついつられて、だんだんテンションが上がっていく。何度目かの誘いを受けて、ついにステージに上がることになった。どうせ歌うならと三味線を借りることにした。沖縄初舞台である。

結果は惨憺たるものだったが、地元の客には結構うけたようだった。調子に乗って、2曲目も歌う。ここまで来たらもう止まらない。カチャーシーまで一気に加速する。大きなエネルギーの波が店の中を突き抜けていったようで放心状態になっているのがわかる。時計は2時だ。我如古さんが留守だったせいか、料金も半額程度になっていた。

姫・沖縄市諸見里1-2-1・098-932-3984

外へ出ても、妙な感覚は変わらない。ふらふらと宿へ向かって歩いていると、見たようなネオンが目に入った。「なんた浜」だ。嘉手苅林昌さんも時々出演していたという、老舗の民謡酒場である。思考回路がうまく機能しないうちに、足が勝手にそちらの方に向いてしまった。民謡酒場のはしごである。入ってすぐに、地元の不良中年が5〜6人なだれ込んできた。帰ろうかとも思ったが、座ったところなので、しばらく様子を見ることにした。

ステージが始まると隣のテーブルにいた、前掛け姿の男性が「こっちに来い」という仕草をする。訊けば隣の「山羊料理屋」の御主人である。彼は私が、不良中年たちにからまれないか心配してくれて、お勘定も済ませていたのに付き合ってくれたようである。しばらくして、つかみ合いのけんかが始まり、当事者は2人とも追い出されてしまった。しかし、残された3人は何食わぬ顔をしてビールを飲んでいる。店の人は緊張した顔つきで、スクガラス豆腐やおつまみをサービスしてくれるのだが、ひょっとしてこれは日常のことなのか?とすれば、こちらの方は女性の1人客にお勧めするにはやや刺激が強すぎる。嵐が去って緊張がとれたステージは徐々に盛り上がってくる。レパートリーはこちらの方が多い。「姫」では断られた曲も演ってくれた。ものはついでで、三味線を借りる。2大民謡酒場同時初舞台である。思考は完全に停止している。こちらの料金も半額だった。今日は半額デーだったのかしら?

なんた浜・沖縄市上地308・098-932-5930

4時まで遊んでいたにもかかわらず、翌朝は案外いつもと変わらなかった。遅めの朝食を済ませ、首里城の近くの県立博物館へ向かう。私は博物館が結構好きである。美術館のようなものは置いていないが、人々が日常の生活の中で使ってきたものを中心に展示してあるので、目で見る歴史教科書のようなものだと思っている。売店で販売している資料類も貴重なものが多い。今回は三味線の資料を見つけた。三味線には色々型があるのだが、型ごとに分類して、製造年から現在の所有者まで写真付きで網羅しているのだ。私には必要がないものだと知りながら、つい買ってしまった。

沖縄県立博物館・那覇市首里大中町1-1・098-884-2243

2時間ほど見学していたら足が疲れてきたので、昼ご飯にする。博物館の並びにある八重山料理の店「潭亭」である。竜潭池のほとりにたたずみ、八重山の土で焼いた食器で料理を出す。たまには違うものを食べてみようかとは思ったが、ヒハツを自家栽培し、島ネギを研究、昔の製法で作った八重山そば潭亭流となれば、食べてみなければならない。そばに、ヒハツジューシー、青豆のぜんざい、など八重山の料理を加えて1,500円である。居心地がいいので、結局そのまま出発までの時間を潭亭で過ごした。

潭亭・那覇市首里池端町2・098-884-6193

(※)民謡歌手は、それぞれ自分のホームグラウンドを持っている。知名定男さんがプロデュースするネーネーズのホームグラウンドは宜野湾市なので、わざわざコザでネーネーズの工工四(楽譜)を探すという行為には若干の勇気がいる。おまけに、林二郎さんは林賢バンドの照屋林賢さんの兄弟である。

終わってみれば、2泊3日は島を渡る風のような速さで過ぎ去ってしまった。今回の旅でも多くの人の優しさに出会うことが出来た。毎回同じことを書いているようだが、毎回出会うのだから仕方がない。私の沖縄病はますます重症になっていく。これも、前に書いたか。

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