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ゆらてぃくのモーニング みんな歩いて 重要文化財 日本最西端の碑 久部良バリ ダンヌ浜 マルキ食堂 与那国そば 冷やし長命草そば 与那国民俗資料館 ゆりかご 与那国の歴史 与那国ことば辞典 道をはさんで放し飼い 地ビール 入福旅館の夕食 |
2001年5月4日(金) ふて寝した翌日、気分を取り直し早起きをする。沖縄の朝は涼しくて気持ちがいい。今日は、与那国島に向かうのだ。晴れていることを天に感謝しつつ、チェックアウトを済ませる。と言っても、支払いは昨日済ませてあるので、鍵を鍵箱にドロップするだけ。ちょっと御礼も言いたかったけど、じゃましても悪いので出かけることにする。 空港まではバスで15分程度、まだ余裕があるので、何か食べようかと考えながらバスターミナルの方へ歩いていると、昨日の「ゆらてぃく」がもう営業している。見ると、焼き魚の「モーニング」セットが、コーヒー付きで750円である。昨日の印象が良かったのでこれに決める。しかし、なかなか出てこない。忘れていた、沖縄の店は注文を聞いてから作るんだった。 時計を見ながら、だんだん焦ってくる。あと1時間しかない。いくらチケットを持っているといっても、離陸20分前には空港に着いていたい。バスの時間見ておけば良かった。厨房のおかあさんは、そんなこと知らん顔で、大根おろしをすっている。注文ごとにするんだろう。有り難いけど今はそんな場合じゃない。「早くして!」という言葉を飲み込んでひたすら待つ。 やっと出てきた「モーニング」は完全に「焼き魚定食」であった。おまけに、生卵までついている。苦手なので、「これいいです」と返そうとすると「あれ〜、それじゃ卵焼きにしましょうか?」ここは沖縄である。 すっかりまたいい気分になって、くつろいだ気持ちでコーヒーを楽しんでいたらバスを乗り過ごしてしまった。急いでタクシーで空港へ向かう。 与那国行きの飛行機は2機種ある。小さいけれどボーイングのジェット機と、さらに小さいプロペラの双発機である。空模様が怪しいと後者はかなりスリリングな飛行をするらしい。今回の搭乗機は前者で空も快晴という好条件だ。しかし、搭乗機までは荷物を持って滑走路を歩くことになる。離陸してしまったら約15分後には着陸態勢に入る短い飛行だ。 搭乗口のドアが閉められて、「あらっ!」と思った。通路をはさんだ3人掛けのシートが全部空席のままだ。実は、三線を機内に持ち込もうとしたのだが「空席があとひとつしかないので預けて欲しい」と言われて預けたのだ。いいかげんな対応である。もしケースに少しでもキズが入っていたら、思いっきり仕返しをしてやろうと、心の狭いことを考えているうちに、与那国島に着いてしまった。 与那国も快晴である。しかし風は強い。腕と身体の隙間を吹き抜けるように風が通る。迎えてくれた宿のおかあさんが、三線のケースを見て、「三味線弾くんですか?」と話しかけてくれる。「昨日買ったばかりですから。」と話をそらす。 「うちでアルバイトしている子も一生懸命練習しているよ、頑張って練習して新人賞を取るんだって。」沖縄では、県外からやって来るこんな若い女の子が最近増えているらしい。この場合の新人賞は、八重山古典民謡の2つの流派、「野村流」か「安室流」の新人試験?のことである。これに合格すると、次のステップに進むことが出来て、最終的には「師範」の資格を目指すのだ。 知らなかったのだが、今回泊まる入福旅館は町の重要文化財に指定されている築後100年の丸瓦の建物と、隣接する新館からなる宿である。今回は新館だが、次回は是非丸瓦の建物に泊まってみたい。強い風から身を守るように入り口の前に、風よけの壁を持つ独特の景観が私をひきつける。 与那国名物の長命草入りのサーターアンダギーとお茶をごちそうになって一息ついてから、島をひとまわりしてみることにする。おかあさんに教えられた、バイク屋まで歩いて出かける。 沖縄のレンタルバイク屋は、3時間が基準なのか、夕方まで借りようと思うと中途半端である。3時間の次は、24時間なのだ。「いくらですか?」とたずねると、「5000円です。」と返ってきた。つまり5000円で借りて欲しいのだ。こういう場合私は値切らないことにしている。5000円で借りて欲しいと思うにはそれなりの理由があるのだと思うからである。「夕方には返すから、4000円にしとこうね〜。」などと、どこかのおばあのようなせりふはとてもはけない。 与那国は、自転車でまわるにはやや大きい島である。結構起伏もある。初めてなら機動力に勝るバイクがおすすめだ。天気がずっと良ければの話だが。バイクにまたがり西へ向かう。この島は日本最西端に位置し、運が良ければ台湾が見える。出がけにおかあさんが「今日は見えないよ」、地元の人は家にいてわかるらしい。台湾まで約100km、沖縄本島までは約500kmという位置にある。 やはり台湾は見えなかった。天気は良かったのだが、低い位置に霧のような雲の層が出来ていて、視界がさえぎられているのだ。風が強い。 帰りに、「久部良バリ」を見学する。薩摩藩に重税を課せられた琉球王朝が、八重山の人々に課した悪名高き人頭税の負担を少しでも減らすために、深い裂け目のある岩を妊婦に飛び越えさせた場所と伝えられている。岩の裂け目の奥から今でも鳴き声が聞こえてきそうである。 少し戻って、ダンヌ浜で海に入る。浜といっても砂浜は少しあるだけで、すぐに岩場になっている。素肌で入るのは危険だ。雰囲気を味わっただけで引きあげる。 少しお腹が減ってきたので、そば屋を探す。ガイドにも載ってなかったので、あきらめかけていたら有った。与那国のそばは、明らかに八重山のそれとは違う。麺の切り口が長方形で、出汁が少し濁っている。そして、甘くない。だから、「ピヤーシ(ヒハツ)」も無い。メニューには、「与那国そば」と書いてあった。 「与那国そば」(まぐろの刺身付き)・500円 この店のおかあさんはなかなかのアイデアウーマンで、入り口近くの棚には色々なものが並んでいる。手作りの味噌は、少し甘めだが御飯の上にそのまま乗せても良し、お酒のあてにも良しと言った感じの味である。「長命草」の粉が入った砂糖をまぶしたピーナッツ菓子もほろ苦で、暑さに負けそうになったときの体力回復に効果がありそうだ。 与那国は風も強いが日中の日差しも強い。日差しが直角になってきたので、しばらく屋内に避難することにする。与那国民俗資料館は、かつて漁港として栄えたナンタ浜を見下ろす祖納の集落の高台にある。館主の池間苗さんが狭いスペースに所狭しと並べられた展示品について、ひとつひとつ丁寧に説明してくれる。 台湾が植民地だった頃、与那国は日本で一番台湾に近い場所として、物資の中継点としてまたカジキマグロの漁場として活気にあふれた島だった。台湾で改良された稲は年に2度作ることが出来たので、与那国では古くから稲の二期作が行われていた。豊かな実りで味噌を仕込み、花酒を醸した。それが、政治の力で一変した。台湾との交易が無くなりカジキマグロを捕る人も少なくなった。復帰後高校の誘致に失敗したため若者の島外への流出が進み、10000人を越えていた住民の数は1000人ほどになってしまった。歴史にもまれ続けた人生を振り返るように苗さんは淡々と語る。 いいこともあった。あまりに遠くて税務署が来なかったので、酒税法の影響を受けずに済んだ。名物の花酒「どなん」は、60度という日本一高いアルコール度数で知られているが、本来この度数の酒の製造は日本では認められていない。神事に使用するという名目で昔ながらの製造法をまもることが出来た。 この資料館は私設である。医師だった池間さんの夫栄三さんが開業医として島の医療に尽くしながら、一方で「与那国の歴史」という書物を著し、資料館を残した。苗さんは栄三さん亡き後、30年間資料館を守り続けている。そして、与那国の言葉が失われつつあることを危惧し「与那国ことば辞典」を著した。地道で根気のいる作業をこなしながら、「まだまだ完成してない。」とやさしく微笑む苗さんの小柄な身体はとても大きく感じた。 外に出てみると少し陽が傾いている。再びバイクで今度は東を目指す。東崎をまわり、島の南側を通って再び西に向かう。この南側の道路のちょうど真ん中あたりが世界最大の蛾「ヨナグニサン」の生息地として知られている。昼間なので蛾はいなかったが、かなりの数の蝶が道路の上で休憩している。踏みつぶさないように注意しながら、スピードを落としバイクをすすめる。 少し標高の高い場所に出ると、今度は牛や馬が放し飼いにされている。こちらも衝突しないようスピードを落として走っていると、急に身体中に衝撃が走った。「ダ、ダ、ダ、ダ、ダッ!」下を見ると、深さ1mくらい、長さ2mくらいの四角い穴が道路の幅一杯に掘ってあり、その穴の上に15cm間隔くらいのコンクリートのすのこがはめ込んである。つまり、自転車もバイクも自動車も全てこの上を通る仕組みになっている。しかし、すのこの間隔がかなり広いので、気をつけないと自転車やバイクは転倒してしまう。「牛や馬がいるからゆっくり走れ」という意味だと思うが、かなり大胆な仕掛けである。かなり手前から、注意を呼びかける標識を設置して欲しい。 しかし、私は間違っていた。後でバイクを返しに行ったときに教えてもらったのだが、この仕掛けの設置目的は全く逆であった。これは「テキサスゲート」と呼ばれる仕掛けで、人ではなく牛や馬に対して効果があるように設置されていたのだ。つまり、隙間が広く穴が深いので、牛や馬が怖がって、「テキサスゲート」の外に出ることが出来ないのだ。無意識のうちに人間中心にものを考えている自分に気付かされる。 浮かぬ気持ちで宿への道を歩いていると、相変わらず強い風に青いのぼりがはためいている。「島内限定発売・地ビール」、これは買わなくてはいけない。早速自分中心の世界に戻ってしまう。このビールはビン入りのみで、スタイニーボトルで500円である。結構高価だが、いわゆるピルスナー系のようで香りが強くフルーティーな味わいである。 汗を流してから夕食となる。私は沖縄の料理に詳しいわけではないが、与那国のそれはいわゆる沖縄料理のようではない。まずは、カジキまぐろの刺身である。そう言えば、与那国そばにもついていた。それから炒め物に入っている肉の処理方法が違っているようなのだ。簡単に言えば油を落としていない。これも、夕食は1度食べたきりなので一般論にはもちろん出来ない。そして花酒、度数の弱いのを振る舞っていただいたのだが、「生」のままである。そこここに与那国の独自性を感じる。 などと勝手な想像をめぐらしながら食事を食べていると、遅れて1人の男性が帰ってきた。台所に頭をつっこんで何やら話しているので常連さんらしい。隣りに膳が運ばれたので、挨拶をして少し話していると、「関西ですね?私は京都です。」ときた。標準語で話していたつもりだが、「わかるんだなあ。」と妙に感心していると、関西人と知って身近に感じて下さったのだろうか、御自身のことを教えてくれた。 「私は蝶屋なんです。それも迷蝶専門で、与那国に来るときは、ここで御世話になるんです。」 結構話が弾んで、気付いたら私達だけになっていた。お休みの挨拶をして部屋に戻る。窓を開けるとやはり風が強い。強い風の向こうで三線が鳴っている。ここのヘルパーさんかも知れない。仕事が終わってから練習しているんだ。何となく励ましモードになっている。新人賞がんばれよっ、という感じである。こちらもせっかくだから少し練習する。与那国だからやっぱり「しょんかねー節」かなあ、しかしこの曲は恐ろしく難しい。程なくあきらめて寝ることにする。 |
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