旅日記・沖縄(コザ編)00.11.03〜11.05

2000年11月3日(金)午前9時20分伊丹発JAL911便で、私は今年3度目の那覇へ向かっていた。テレビカメラが離陸の様子を映し出すリアルタイムの映像は相変らずスリリングである。今回はコザを目的地としていたため、沖縄ツーリストに個人旅行を組んでもらっていた関係で、往路はJAL、復路はANAである。

思わしくない天候のため若干遅れて伊丹を発ったのだが、11時25分予定通り那覇に着いた私は、予約しておいたレンタカーを駆って北へと向かった。目的地は読谷にある金城窯である。7月のサミットに合わせて、売店部分を洒落たログ風に増築していた店内には所狭しと作品が並べられていた。登り窯から産みだされる焼物(やちむん)は、ひと釜ごとにその表情を変える。今回は私の好きな少し青めの色合いにあがっていた。前回訪れたときにいただいた抱瓶(だちびん)を店で花器として使っているだが、それを見たお客様の依頼もあって形の違う急須を2つ求めた。

若奥様は、私のことを覚えていてくれて、「ディズニーランドへ行くんだけれど、島を出るのは初めてなので、寒いのが心配だから、腰の周りにいっぱい使い捨てカイロを貼って行くわ」とコロコロと笑いながら送り出してくれた。金城さんは奥の仕事場で注文制作のシーサーをつくっておられた。高さが2m近くになるので登り窯には入りきれず、瓦屋さんに焼いてもらうため瓦土を使っているとの事だった

車を南へ帰し、コザへ向かう。初めての土地では運転に気を使う。コザには人気バンド「りんけんバンド」の照屋林賢(てるやりんけん)の御父君照屋林助(てるやりんすけ)氏の演芸場「てるりん館」や「照屋楽器店」、島歌の神様と呼ばれる故嘉手刈林昌氏(かでかるりんしょう)ゆかりの民謡酒場「なんた浜」などがある。実は民謡酒場の盛り上がる時間が午前0時過ぎのためわざわざコザに宿をとったのだ。


コザに入り、安心したせいか昼食を取っていなかった事に気がついた。あたりをつけていた沖縄そばの店に電話を入れてみた。というのは、金曜日が定休日だったからだ。大阪なら多分留守電が応答するところだが、「夢二すば」の大将は、「なら、開けて待ってますか?」と言ってくれた。期待していたわけではないが、心遣いがうれしい。ここは沖縄である。おまけに特製のてびちまでサービスしてくれた。

沖縄そば「夢二」
沖縄市室川2-33-5
TEL・098-934-3892
OPEN・10:30〜21:00
定休日・金曜日
夢二すば550円
写真・テビチそば600円

空腹を満たして宿へ向かう。今夜の宿は、「でいごホテル」である。規模は小さいながら、元々アメリカ人を対象としていたため、部屋もベットもゆったりとしたつくりとなっている。スナックや遊興施設など余計なものも無く、落ち着いて過ごせる宿である。

デイゴホテル
沖縄市中央3-4-2
TEL・098-937-1212


軽くシャワーを使って、徒歩で街に出る。コザの中心部は多分2時間もあれば歩いてまわれる小さな街だ。出会う人の数は、那覇の国際通りと比べて圧倒的に少ないが、アメリカ人は多い。ここは基地の町である。ぶらぶらした後、小さな自然食品店を見つけ「山葡萄のジュース」を買った。これはなかなかのもので、ひょっとしたら近々自然館にもお目見えするかもしれない。久しぶりに歩いたせいか、空腹を感じてきたので、少し早めだったが食堂を物色する。目に止まったのは、「ひーじゃー(山羊汁)」の看板を出していた、食堂「次男」である。いかにもわかりやすい名前のこの店は、地元の人でにぎわっていた。「ひーじゃー」は思っていたほど臭みも無く食べやすかった。御飯と漬物がついて1000円は夜の値段としては安い。

食堂次男
沖縄市中央1-17-14
TEL・098-938-2510
OPEN・不明
定休日・不明

夕食の後、宿に帰り風呂を使う。時間が余ったので久しぶりのテレビをつける(私の自宅では相変わらずテレビが故障中である)。何しろ民謡酒場は9時開店である。日米野球も決着がつき始めた頃、ようやくいい時間となり、「なんた浜」をめざす。夜のコザは、風俗の町でもある。昼間には見えない夜の世界が通りに広がっている。アメリカ人らしい濃褐色の肌をしたカップルが入っていった店をつられて覗き込んでみたら、「タトゥー(シールではなく本式のいれずみ)」の店だった。結構若い(多分)アメリカ人でにぎわっていた。
「なんた浜」は空いていた。というのも当たり前で、ここのピークは前述の通り午前0時を過ぎてからである。一番前に陣取ってステージを待つ。空いていてもステージは10時過ぎには始まる。嘉手刈林昌氏の弟子、饒辺愛子(よへんあいこ)氏が軽妙なトークと鮮やかな三線(さんしん)さばきとともに、最初から奥行きのあるのびのいい歌声でとばす。思わずステージに引き込まれていく。1回目のステージを終え、2回目に入る頃から客が入り始める。そこで「遠くからきたお客様」のためにわざわざリクエストタイムをとってくれた。私は「ジントーヨー」をリクエストしたのだが、「ジントーヨーは、たくさんあるけどどれにする?」ときかれて、2つしか知らなかったのでそう返すと、「どっちが好き?」とまた振られた。答えに困っていると「欲張りなお客さんね〜、どっちも演れっていうわけね。」と笑って、3つ演ってくれた。ここは沖縄である、心地よく酔わせてくれる。
結局閉店の4時までは身体がもたなかったが、それでも2時近くまで沖縄民謡を文字通り堪能した。こんな時間まで外にいるのはおそらく20年ぶりのことだ。宿まで歩いて帰る途中で、出会う人の多さにまた驚かされた。いったい今は何時だろうと、時計を見直してもやはり2時である。沖縄の夜は長い。

なんた浜・沖縄市上地308-1・TEL098-932-5930


翌4日朝少し早めに宿を発った。「首里そば」に行くためだ。首里そばは、手打ち麺のため毎日限定60食しか出さない。11時30分の開店前から店の前に客が並ぶ。今は無き「さくら屋」のおばぁ直伝の味は、今も地元の人の圧倒的な支持を受けつづけている。豚とかつおだけのあっさりとしたスープは、多分他に類を見ない。

首里そば
那覇市首里赤田町1-7
コンサートホールしろま1F
TEL・098-884-0556
OPEN・11:30〜14:00頃
日祝休み
写真・首里そば(中)500円

腹を満たした後、車を東海岸へと向ける。与那原へ出て、海沿いの道を佐敷町へ、小さな半島を回って知念村に入ると、左手に神々の住む島、久高島が見えてくる。今も伝統的な儀式が執り行われている神聖な島である。さらに南西へ下ると、糸満に入り「ひめゆりの塔」がある。1989年には隣接してひめゆり平和記念資料館が建てられている。実は私はひめゆりの塔を訪れたくはなかった。自分の中途半端な沖縄に対する態度をさらしたくなかっただけではなく、現実を目の当たりにすることによって、平静な精神を保っておける自信がなかったからだ。実際にひめゆり平和記念資料館で、生き証人として淡々と語る、今は老婦人の言葉を噛み締めているうちに、行き場のない怒りと悲しみが込み上げてきて、心配していた通り平静を失っていた。いったいなぜ人は争いを繰り返すのだろう。多くの命を飲み込んでしまったその黒く深い壕は何も語らない。しかしこれを悲劇としてとらえ幕を閉じる事は許されない。過去がどうであったかということと同時に、これからどうするのかということが今なお問われて続けているのである。

本島をくるっと西側へまわって糸満の市街へ入る。沖縄伝統工芸館「琉球の館」では、様々な伝統工芸を体験できる。無謀ながら「ミンサー織」に挑戦してみた。結果はあと1週間もすれば送られてくるはずである。恥ずかしながら身体中いっぱいに汗をかきつつやっとのことで出来上がりまでたどり着いた。
後で聞いた話だが、ミンサー織りは婚約した女性が相手の男性に贈る織物だそうだ。どうりて織機がとても小さいはずである。(作品は11月16日に届いた・写真下、「いつ(五)の世(四)までも末永く」という意味だとか。)

沖縄伝統工芸館「琉球の館」
糸満市西崎町5-11-2
TEL・098-992-1000

西日をうけながら北上し那覇に入る。今日の宿は、国際通りに面する「ホテル国際プラザ」である。車を預け、軽くシャワーを使った後、国際通りへ出てみる。沖縄専門の本屋や、CD屋を覗きながら通りを流す。コザとはまた違った、独特な雰囲気がある。その理由は多分、国際通りだけを取り上げてみると完全に若者だけが楽しめる街であるという事なのかも知れない。ここは原宿か渋谷といっても違和感はない。無論、一歩横道にそれると、果てしなく広がる市場の迷路に迷い込むことになるのだが。
今夜の夕食は、「びん殿内(びんどぅんち・殿内は高貴な人の屋敷の意味)」である。宜野湾市にある実家から運ばれる無農薬有機栽培の野菜を使った沖縄料理の店だ。沖縄料理店のご多分に漏れず夕食でも850円くらいから楽しめる。那覇市松尾1-4-1コラムビルB1F・098-863-1910・無休。

明けて5日の朝、「御殿山(うどんやま)」を目指す。古民家を利用した沖縄そばの店である。11:30開店なのだが、ついてみれば満席状態である。やっと席を得て見渡してみればなるほど、人気のほどが知れる。そばがなくてもぜひ訪れてみたい場所なのだが、そばがあればなおさらである。

御殿山(うどんやま)
那覇市首里石嶺町1-121-2
TEL・098-885-5498
定休日・月曜定休
写真・木灰そば(中)500円

何度となく訪れていると、沖縄は行くところというよりは、帰ってくるところになりつつある。相当な沖縄病である。しかし、これだけ好きな場所であっても、どうしてもなじめないことが2つある。ひとつは、右側斜線をゆっくりと走る車、もうひとつは、寒すぎるくらいの冷房である。最も、11月になっても、道端でアイスクリームを売っているくらいだから、慣れないこちらに問題があるのかもしれない。