ムラサキシメジ アワブキ 渓流に沿って チャナメツムタケ ケンポナシ ヒラタケ 緩やかな流れ ヤマブシタケ ムキタケ ナメコ 滝、滝、滝・・・が続く トチの葉の絨毯 |
2001年11月10日 曇り一時雨のち晴れ 未明に車で家を出発し、途中30分ほどの仮眠を摂り、現地に着いたのは午前7時20分。さっきまでの時雨も止み、曇天ながらも雨の降っていないのは何よりだ。特製長靴(長靴の上に膝上までビニールを巻き、ガムテープで留めたもの)を履いてその上にカッパの下だけを履き、身支度は終了。7時30分出発となる。 渓流というより川といった方がよいほどの広い流れに沿って、歩道を上流目指して進んで行く。道はほぼ水平に付けられているので、時間の割には距離が稼げる。道端にスギエダタケ、ムラサキシメジと食用キノコが現われるが、数も少なく今日の目的ではない。 紅葉の盛りは少し過ぎたような気がするが、タカノツメやアワブキなどの黄色く色付く木々の葉は、渓流を背景に美しい。歩道沿いの立ち枯れたミズナラの根元に、クリタケが群生しているのを見つけた。少し小さいが、大きくなったものだけ選んで採り、帰りに回収する予定で岩陰に隠し先を急ぐ。 こんな道を、流れを眼下に、瀬音を耳にしながら、時に対岸に鹿の逃げ去るのを見、2時間あまり歩くと、歩道は川を渡り険しくなる。ここからはその道を辿らず川の中を行くことにしよう。流れを何度も渡り(残念ながら特製長靴はたちまち水が滲み、中はぐじょぐじょになってしまったが)、時に岩から岩へ飛び移りながら進むと、ほどなくブナの倒木に出会う。 急斜面に倒れたその木は、流れと直角に交わり、少し離れたところからでも分かるほど、たくさんのナメコに覆われている。開いてはいるもののまだ新鮮で、十分食用価値があり戴いていくことにする。1本ずつカッターナイフで切り取って収穫する。流れに近いところは採りやすいのだが、上の方は急な斜面に辛うじて足場を作り、足を動かすこともできないような不安定で且つ無理な姿勢を続けて採らなければならない。だから30分ほどかかって採り終えた頃には、体が引きつるほどであった。 2kgほどの収穫だろうか、ザックに入れ先へ進む。途中所々でわずかなナメコやクリタケ、ヒラタケを採りながら、緩やかな流れを辿りつづけると、やがて川の両岸が狭まり函が現われる。ここを通過すると支流が合流し一服するにはちょうどいい所だ。時間は12時少し前。先程より空腹を感じていたので昼食にしよう。ザックを下して中を開いて捜すが無い。ひっくり返したがそれでも無い。 ガーン!食料を車に忘れてしまったのだ。持っているものは?伊藤園の「充実野菜」のペットボトルが1本だけ。生のナメコじゃたくさんは食べられないだろうし。無いものは仕方がない。空腹のまま進むこれから先のことを思いやり、いささか情けなくもなりながらも、「休む必要もないか」とひっくり返した荷をザックに詰め直して出発することにする。 本流に比べ支流は水も少なく、靴に水の滲み込む心配はもうない。少し進むと谷をまたぐように樹が倒れ、そこにムキタケが群生していた。これは先週たくさん採って食べたから、今回は採らずに先を進もう。続いてトチノキの倒木に頃合いのナメコが群生しているのに出会った。10年以上もナメコ採りをしているが、トチノキに生えているのに出会ったのは初めてである。 「この木にも生えるのか」と新しい発見を喜びながら、最高のナメコに感謝して戴くことにする。キノコ採りは、探す楽しみ、採る楽しみ、食べる楽しみと、楽しみが連続するのであるが、その中でもこのような適時のナメコが群生しているのを見付けたときが最高に嬉しく、キノコ採り冥利に尽きる。 そこからわずかで谷が二分し、小さい方の谷へ入ることにする。この谷は、下部にたくさんの滝を連ね、夏には沢登が楽しめるところである。しかしこの時期のキノコ採りでは、そこを高巻かねばならない。谷に入ってすぐ滝が始まる。その滝の手前にミズナラの倒木が、これも急斜面に直角に倒れこんでいるのを見付ける。 この木にはそれこそおびただしい数の開いたナメコが生えていて、壮観というか圧巻というかとにかく素晴らしいのだが、あまりの多さにこれを採る労力を考えると気が遠くなりそうだ。ここのナメコは1個1個が巨大だ。開いていなくとも傘の直径は3cm程もあり、開いたものでは10Cm以上の大物まである。天然ナメコを知らない人なら、まさかこれがナメコであるとは思いもよらないであろう。モノが巨大だから200本ほど採ればそれだけで3kgぐらいにはなり、それ以上採るとこれから先の滝場が越えられるか不安になる。それにいささか採る作業にも飽きてしまったので、収穫した量の2倍ほどまだ生えているが、これで打ち切り先へ進むことにする。 ザックを背負うとずっしりと重い。すぐに高巻きが始まり、つかまる木もほとんどない急斜面を、時に四つん這いになりわずかの足場を頼りに登って行く。ここで足を滑らしたら命がないかもしれない。高さは50mを超えているだろう。高巻き終え、谷へ下りると後は小さな滝がでるだけで簡単に越えて行ける。時々頃合のナメコが少しずつ現れるので、それらを戴きながらさらに登り続けると、やがて流れも消えかけ、急な斜面を一登りすると稜線だ。 稜線上には細々と踏み跡があり、それを少し登るとこの辺りの最高点に着く。紅葉の季節は過ぎ、ブナやミズナラの冬枯れした木立が晩秋の訪れを告げる中、独りコミネカエデだけが鮮やかに紅葉して、はっとするほど美しい。山頂でジュースを飲み空腹を癒すが、長持ちするはずはなくすぐに空服を感じてしまう。稜線を元に戻り、先程と反対側の谷を降りてゆくことにしよう。傾斜が緩くなった辺り、大きなトチノキが数本枝を拡げ、その下に落ち葉を一面に敷き詰めた広い緩やかな斜面があった。下草のほとんどない褐色のその肌に光が差し込むと、そこだけが白く輝き心が癒されるほど美しい。 谷をさらに下ると滝が連続して現われてくる。最初の滝の上、そこにミズメの倒木があって毎年たくさんのナメコを採らせてくれるのだが、今年も最高のナメコをいっぱい用意して待っていてくれた。こんなナメコを採っている時は、正に至福の時、何もかも忘れて没頭できる。ここでもたっぷり戴き、更に重くなったザックを背負って滝の連続する谷を時々よろけながら下って行く。足場が悪いので慣れないと危険だ。 10以上も滝を越えただろうか、やがて穏やかな流れの谷と出会う。こちらの方が本流で、踏み跡もついている。少しづつ薄暗くなる中踏み跡を辿り、いつしか朝来た川沿いの道に出てきた。時は既に午後5時を少し過ぎている。秋の夕暮れは早い。「明るいうちには戻れそうもないな」と思いながらも、できるだけ早く帰りつこうと足早に歩き始める。しかし間に合わない、とうとう暗くなってきた。 灯りを点けようとザックからヘッドランプを出し、そこで愕然としてしまった。微かにしか光らないのだ。予備の電池を捜したが、記憶もないからあるはずもない。無いものは仕方がない。とにかく先を急ごう。暗さが増すにつれ、焦る気持ちが次第に怖れに替わってきた。ここはクマの生息地、夕暮れは活動の時である。鈴もなければ音の出るものもない。ここは声を上げるしか仕方がない。私の知っている元気の出そうな歌は、昔「五つの赤い風船」が歌っていた「遠い世界に」ぐらいだ。何度繰り返し歌い続けなければいけないのだろうか。 往きにクリタケを隠しておいた所を通りかかり、手探りで捜したが暗くて見つからない。一刻も早くこの暗闇から解放されたいという思いは強く、捜すのは断念してとにかく先を急ぐことにする。いよいよ暗さは増し、杉林に入るともう足元は全く何も見えなくなり、勘だけを頼りに歩かねばならない。空腹どころか、歌うことも忘れ、全神経を、道を探り当てることだけに使って、怖ささえ消えかかっていた。「ビバーク(不時露営)をした方がいいのでは」という考えが頭を掠めたが、「ここまで来ればもう少しだ」と自らを励まし、闇の中で視線を前に向け続けた。 やがて仄かな白い光が感じられると、その光は次第に強さを増し、とうとう白く輝く電灯を見出すことができた。その光のなんと美しく神々しいことか。光のありがたさをこれほど強く感じたのは、本当に久方ぶりのことである。そしてその光に導かれるように安らかに歩み続け、ようやく出発地まで戻ってくることができた。見上げれば空には満天の星が、時、午後6時30分であった。 |