広谷にて 果てしなく続く登り 武奈ヶ岳山頂にて 武奈ヶ岳山頂から北山を望む 雪洞をあきらめてイグルーを 出来上がったイグルー ヤレヤレ(イグルーの中で) 武奈ヶ岳の夕景 南西稜の夕景 後は一気に下るだけ |
2002年2月16日(快晴)〜17日(曇り) 里山遊々クラブ初めての1泊山行、「雪の中で泊まる」をテーマに比良武奈ヶ岳へ向かって出発する。参加者は私を除き、最終的に1名(常連の吉岡さん)だけであった。JR湖西線比良駅からバス・リフト・ロープウエイと乗り継いで、山上駅のある北比良峠を出発したのは午前10時25分。 積雪量は130cmと表示され、まったく雪のない下界での予想に反し、まずまずの積雪量であった。快晴のベストコンデション、武奈ヶ岳の山頂も見えている。スキー場に一旦下り(いつもながら空いているゲレンデだ)、リフト乗り場前を横切って登山道へ入っていく。樹林帯の平行道をイブルギのコバまでやって来て、ここで普通の人が通るコースと別れ、広谷への道に入っていく。 しばらくはまともなトレースがあって、「この分だとラッセルなしだ」と半分喜んでいたが、広谷にかかる橋を渡ると急に心細くなってきた。スキーのシュプールが1本と、カンジキの跡が1個だけとなってしまったのだ。そのカンジキ跡を忠実にズボ足で追いかけるが、結構沈みラッセルしているようなもの。 コースを外れたカンジキ跡を追いかけていくうちに際どい渡渉を強いられ、吉岡さんは片足を流れに浸けてしまわれた。この季節に靴の中を濡らすとかなり辛いものがあるが、幸い暖かい日であり我慢して歩いていただく。その後は、そのカンジキ跡はどこへ消えてしまったのか、コースを忠実にたどっているうちに、いつの間に見えなくなった。 こうなると残されているのはスキーのシュプールだけ。これもブッシュを避けて歩いているからどこへ連れて行かれるか知れない。最後は一からラッセルして道を切り開くことになった。深さは30cm〜40cm、何とか苦しまずに歩ける深さだ。広谷をさらに3度ほど渡ると湿原に出てくる。今は雪に覆われ白い雪原になっているが、これを抜けて一登りすると比良主稜の細川越に這い上がる。12時15分着。 ここで釣瓶岳方面から続いているカンジキ跡に出会った。これでラッセルともお別れだ。踏み跡は硬く締っていて沈まず、トレースを追ってどんどん上がって行ける。せっかく順調に進んでいたのだが、上から一人登山者が下りて来た。彼はカンジキ跡を潰しながら、トレースを滅茶苦茶に乱して下りて来たのだ。だからその後は、スピードは半減、疲れは倍化ですっかり歩き難くなる。 それでも2個目の肩に登りつくと、もう目の前に武奈ヶ岳の山頂があった。この天気だから夏と変わらない人出、50人ほどはいるだろうか。山頂到着は午後1時30分、少し遅い昼食を摂る。風も無く暖かく視界も素晴らしい。 標高1,214.4m、比良連峰最高峰の山頂からは眼下の琵琶湖はもちろん、東は霊仙・伊吹・金糞・横山の湖東から湖北にかけての山とそれから北へ続く奥美濃の山々、そしてそれらの山の奥に白く輝く白山・乗鞍、北は湖北の三国・赤坂・湖北武奈、そしてその先には若狭湾も望める。また西は京都北山の山々・愛宕山、南は蓬莱山とびわ湖バレイスキー場が目の前だ。こんなに素晴らしい眺望はめったに得られない。 時間が遅いので、食事をしている間に登山者も10人足らずとなってきた。いよいよ本山行の目的、雪洞掘りにかかることにする。今年は雪が少なく、山頂の雪庇もほとんど無い。雪洞は無理ではないかと予想してはいたが、とりあえず山頂を少し南に下がった吹き溜まりを掘ってみることにした。15分ほど費やし約2mの穴を開けたところで早くも地面が表れ、早々に雪洞作りを断念する。 そこで次案のイグルー作りに切り替えることにした。雪洞は過去7〜8回作ったが、イヌイット(エスキモー)の氷の家で有名なイグルーは2度目、さてうまく出来上がるだろうか。半ば掘りかけの雪洞をその一部に使い、開かれた部分に雪のブロックを積んでいく。最初の積み始めが広過ぎたことと、傾きが少なかったことが最後まで尾を引き、積んでも積んでも一向に天井が塞がらない。 作り始めて2時間ほど経過し、肩あたりの高さまで達しても狭まらない大きな天井穴に、「明るいうちに出来上がるのだろうか」という不安がよぎる。中に入ってブロックを据え付けている吉岡さんは、次第にそのコツをつかまれ、急速に天井穴が塞がっていくことになった。最後に大きなブロックを載せ隙間を雪で詰めると完成。内側の出っ張りを削り、床面を平らに均し、壁に棚を掘り込んで、結局3時間近くを要して直径約2.5mの、立ち上がることが出来るほど大きなイグルーが出来上がった。 5人ほどなら泊まれるほどの広さだ。間もなく落日。夕日を受け黄金色に輝く雪の山脈、最後は雲に隠れて赤く染まりはしなかったが、なんと美しいことか。見下ろせば下界にはポツポツと灯は点り、明王谷を隔てたびわ湖バレイスキー場のナイター照明も点り始めていた。イグルーに入り夕食の用意をする。コンロに火を点け、雪を削って水を作る。湯が沸くまでウイスキーのオンザスノー(インザスノーかもしれない)、五臓六腑に染み渡るほど美味い。 ラーメンと餅の夕食も酒の肴の如し。最後はホットレモンで体を暖め、シュラフに潜り込む。吉岡さんはたくさんのカイロを貼り付けておられたが、私はうっかり忘れてしまい、この差が、朝まで眠っておられた彼女と、下からの冷たさに何度も目覚めて朝を待ちわび続けた私との差になってしまった。 翌日は午前6時に起床、白々と夜が明けていく。夜明けを待ちわび続けた私はすぐに起き、外へ出てみた。昨日と打って変わって雲が全天を覆い、近いうちに雨でも降出しそうだ。びわ湖バレイスキー場はオールナイト営業なのか、照明がまだ煌煌と輝いている。わずかな晴れ間から朝日が覗いたが、山を赤く染める力もなく、すぐに雲間に隠れてしまった。昨日はきれいに見えた伊吹山も辛うじてそれと見分けられるほどで、白山に至っては望むべくもない。 イグルーに戻って朝食、アルファー米の山菜おこわ、味噌汁、焼鮭。スキー場のロッジに泊まっていた人だろうか、もう人が登ってきた。荷をザックに詰め、7時50分、西南稜を坊村に向け出発。トレースはしっかりし過ぎるほどに硬く締まり、アイゼンさえ欲しいほどだ。傾斜の急なところはスリップしないようトレースを外れてザクザク雪の中を歩く。一旦ワサビ峠に下り再び御殿山に登り直すと、後は下りばかりとなる。 この頃から雪も緩み始め、傾斜のあるところは、新雪を選んでズボズボ下る。昨年の比良山で新雪下りの味をしめられた吉岡さんは、これより率先して新雪の中に突っ込んで行かれる。標高846mの肩を過ぎると傾斜はさらに急になるが、残念なことに積雪量が目に見えて少なくなっていく。この下りもできるだけ新雪を選んで下るが、時々地面が表れ滑って転倒しそうになる。 積雪もわずかとなり、とうとう登山道を歩かざるを得なくなると、間もなく明王院の境内に降り立つ。午前10時20分、坊村のバス停はすぐそこだ。バスが来るまで20分余り、ビールでも呑むかと酒屋を訪ねたが、あいにくの日曜日で閉ざされ、自動販売機もない。やむなくジュースで喉を潤しつつ、バスを待った。 ●引率の福本さんから文章をいただきました。 |
●参加者の吉岡さんからお便りをいただきました。以下に御紹介します。 | |
「On the snow In the snow」 丁度1年前の今ごろ、初めて雪山ハイクへ参加した。もちろんそんな装備は持ち合わせておらず、足元だけは!と思い福本先生のアドバイスを受けて梅田の石井スポーツへ買いに行った。そこでGETした軽登山靴。今回で4回目の活躍をすることとなった。去年は靴以外は全くのスキー装備。ウェアもストックもスキーの物を持って(着て)行った。比良山ロープウェイの山頂駅を降りると、山を登る人々がそれぞれに装備を整えている。その中で1人場違いな恰好をしていて、やたらと目立ったような気がした。リュック一つまともなものではなく(防水もされてない小さいもの)、荷物を持って山を歩くなんてとても無理だと思っていた。体だけで精一杯!実際その時はそうだった。あれから1年。去年のあの雪山ハイクをきっかけに私は山へ惹き付けられて行ったように思う。 ゲレンデスキーとはまた違った雪山ハイクの魅力に、去年下山の時から既に今年の雪山ハイクをとても楽しみにしていた。しかも、今度は雪の中で泊まろう!という企画付きである。聞いたこともない雪洞なるものを作ってその中で泊まるというのだ。子供の頃にカマクラなら作ったことがあるが、そんなところに寝るなんて想像もしたことがなかった。だって、寒い!しかし、雪洞とかカマクラはその中の温度は一定で、外の気温がいくらマイナス・・度になっても、0度でとどまっているらしい。でも0度だ、恐ろしい。。。それでも新しいもの好きの私としては、試してみないわけにはいかない。当然前向き参加希望となった。 2度目とはいえ、まだまだ山慣はしていない。が、去年に比べれば装備も随分整った。夏の間に少し揃えたものもあり、また今回のために防寒対策goodsも準備した。ちょっとまともなザックを背負って、スキーウェアではなく少しは山らしい恰好が出来あがり、周りの目も気にすることも無くいざ出発。 普段の運動不足もあり山を登るのは息が切れる。しかし、以前のようにそれが嫌だとか苦痛だとか思わなくなった。多分自己陶酔というか“無”の世界へ突入しているのかもしれない。周りの自然に同化していくようなそんな空気を感じながら、自分の呼吸の音だけが聞こえている。特に雪の山は静かな気がする。夏山は風の音や木々のざわめき川のせせらぎなどが耳に心地よいが、雪の中ではそういう音は全く聞こえてこない。みーんな雪が吸収してしまうのか?ただ時折鳥のサエズリが聞こえてきて、思わず視線を木立の高い所へ向け立ち止まる。動体視力が良いのか福本先生はすぐに鳥の姿を見付けることが出来るようだが、私はなかなか見つける事ができない。声だけで姿が見えない幻のようにも思える。鳥はカラの仲間だと言うことだった。(ヒガラやシジュウガラ) 去年より積雪量が少ない今冬は、ラッセルせずに歩けると先生は喜んでおられた。が、人がたくさん歩いた後は雪が押さえつけられそして凍ったりして結構歩き辛い。というわけで、少しでも人の少ないルートを選んで歩いたところ、途中からは新雪を自分でラッセルするような状態で進むことになった。私は先生の後ろを歩くわけだから、楽なはずではあるけれど、疲れてくると同じ歩幅では歩けなくなる。その結果、ずぼずぼと新雪に埋もれてしまうことになる。膝上、もしくは深いところだと片足全部が雪に埋まる恰好になり、そこからの脱出はかなりの重労働となる。これはストックなしでは不可能に思える。やっとの思いで這い出した時にはすっかりゼーゼーハーアーという状態でしばし休憩して息を整えることになる。ようやく次の一歩を踏み出すとまたわずか数歩で雪に埋もれる。もう3歩か5歩歩くたびに雪に埋もれることが続く。すぐそこに見えている所へ行くのにさえ数十分もかかってしまう。いったいいつまでこうやっているのだろう?!永遠に続きそうにさえ思ったりもしたがようやく3時間ほどの歩行で山頂へたどり付いた。 昼食をとり、いつもであればあとは下山となるわけだが、今回は違う。これからがメインイベント。今夜の家を作らねばならない。最初は雪洞掘れそうだと予測し、雪庇の良さそうな場所を探して掘り始めたが、やはり雪の量が少ないようで地面に達してしまった。しかたがないので、イグルー作りに切り替える。イグルーという名前も私は初めて聞く言葉でどういうものか全くイメージが作れない。氷の家はなんとなくわかるが、雪を四角く切り出して積み上げる??なに?それっ???ってわけで作業を手伝っていた。要領が得ないのでどうも無駄に時間と労力を費やしたようだが、先生のご指導よろしくようやく1時間以上たってからイメージとコツを掴みはじめた。雪は柔らかいものというイメージが私にはあった。しかし、上に上に降り積もった雪の下の部分は、それは結構しっかりと押し固められていて、スコップで四角く切り出したらそれはくずれたりもしないし、それを持ち上げるのはかなり重たい。意外だった。そしてその雪のブロックとブロックを雪を接着剤にして繋いでいく。隙間も雪で埋めていく。なんとも雪はナンにでも利用できてしまうのだ。約3時間の奮闘の後、ようやく大きな大きなイグルーが出来あがった。ちょっと首を縮めれば立ちあがることが出来る程の大きなものが出来あがった。怪我の功名??そして、中には蝋燭を置く棚を切りだし、物置き場兼水(雪)組み場を切り出しておく。なんとも便利がよいように作られている。全部が写真に写っていて見て頂けると楽しいと思うのだが・・どうだろう? なんとか日没には間に合いホッとした。西の空にはすっかり傾いた紅い夕陽が大きく見えている。残念ながら雲が広がっていて綺麗な夕焼けにはならなかったが、その日の終わりを告げる陽の光は柔らかく優しく美しく、しばし言葉を忘れて眺めていた。感傷にゆっくり浸っているには外は寒すぎる。イグルーの中に逃げ込み夕食とする。 食事も済み後は寝るだけとなると、イグルーの入り口を塞ぐのだが、その前に外を眺めるとすぐ近くに街の灯りとビワコバレースキー場のナイターの明かりがきれいに見える。星空は曇っていて眺められなかったが、夜景はよかった。 外よりは温かいといっても0度のイグルー内。食事も終わると寒い寒い。早々に寝袋スタンバイして8時には就寝。私は途中で片足を川にはめたこともあり、足がジンジンと冷たい。持ってきたカイロありったけを足腰に貼り、寝袋に包まって眠りについた。カイロ効果は抜群で、寝返りするたびに意識は戻るものの、すっかり朝まで眠ることが出来た。 朝、起こされても寒くてすぐ寝袋からは出られずモタモタする。そうこうしている内に先生は朝食の用意に掛かられ、私はすっかれ出遅れてしまった。教えられてイグルーの入り口から外を覗くと、朝陽が赤く昇っている。予報では今日の天気は崩れて行く模様。雲も多く太陽はすぐに隠れてしまった。 8時前には下山開始。既にその日の朝上って来た人々の注目を浴び(イグルーが)、ちょっと名残惜しみながらイグルーを後にする。去年はトレースが付いていなかった為に下山できなかった西南嶺を今回は降りて行く。積雪量が多い時は特に下りは楽しいコースだそうだ。残念ながら今年はちょっと少ないため、予想とおりではなかったものの、新雪の林の中を登山道を短縮しながら駆け下りるのはいと楽し!下りだというのにゼイゼイするほどである。途中先生のペースについていけず、ちょっと迷子状態になり、山の中で叫んで先生の居場所を確認する。と随分余分に下へ降りていて、また登らなければならないという場面もあった。別に鬼ごっこをしているわけではないけれど、先生の後姿を見失わずに付いて行こうと、こちらも必死である。下りはあっという間に終わってしまい、10時20分にはバス停へ到着。こうして今年の雪山ハイク&ステイ・イン・スノー体験も終了となった。1年間楽しみに待っていたこの雪山ハイク。全てのことが初めての事で、何が起きてもイチイチ珍しいし、感動してしまう。とても楽しい有意義なハイクとなった。また来年が楽しみである。(先生は懲りてしまってイグルーはもうやらないそうであるが・・) |