「芦生の森から」05.04.02.


鹿に食べられたノリウツギ

マルバマンサクの花

一の壺

下ツボ谷出合付近の由良川

完全に雪に埋められたアシウスギ

開き始めたマルバマンサクの花

傘峠

折れて雪に埋もれるアシウスギ

スケン谷出合付近の由良川

バイケイソウの芽吹き

2005年4月2日  曇り

古屋〜三国岳941mピーク〜ツボ谷出合〜傘峠〜スケン谷出合〜古屋

夕方から雨との予報だったので、早めに出掛けた。古屋午前6時20分出発、保谷林道に入るが除雪はされておらず、最初から雪道を歩くことになる。雪の表面は固く凍ってはいるが、中は柔らかくて時々「ズボッ」と踏みぬいてしまう。このまま歩けばすぐに疲れてしまうだろうから、躊躇なくカンジキを着けることにした。

谷川にはミソサザイの声が響き、頭上からはシジュウガラの囀りが降ってくる。小鳥たちは春の来たのをいち早く感じ取って歌っているのであろう。が、地上の草木は未だ厚い雪に覆われ、マルバマンサクのか弱い花を見出す以外、春の息吹は感じられない。林道上にはまだ80cmほどもあるだろう雪が積まれ、この季節に至っても残る雪の深さが、今年の雪の多さを物語っている。

林道上で2頭の鹿の屍を見た。ほぼ白骨化してはいるが、幾分原型を留めた頭部に視線が辿りつくと、凄惨な姿に目を背けたくなる。おそらく餓死した後、狐や鳶などに食べ尽くされたのであろうが、今年に入って出会う4頭目の死体である。景観を激変させるほど鹿に食い尽くされた山は、多数の鹿を生息させるだけの許容力を無くしていた。

今年の冬は殊に厳しく、餌を獲得できなかった多くの鹿が自然調整としてを餓死したものと思われる。消え行く命の最期を思うとき、胸の痛みを感じずにはいられないが、非情な自然の厳しさは、反面生きるものに糧を与え草木の命を護る優しさでもあるのだ。生は死の裏側であり、得ることは失うことの反動であると教えられる。

倉ケ谷出合の水道施設辺りから保谷本流を渡り、対岸の尾根に取り付くが、風で雪があまり着かなかったのだろう地面が所々表れている。そのときはカンジキを外して登ったが、こういう場所はその後幾度も現れ、その度にカンジキを外すべきか、着けたまま進むべきかと迷わねばならなかった(その結果ある時は着けたまま歩き、ある時は外して歩くことになったのだが)。

保谷南尾根に上がり、南へ683mのピークを越えさらに登って行くと、やがて江丹国境稜線に至って岩谷峠から上がってくる登山道に出合う。この稜線を三国岳方面に向い、急な登りを越えると突然視界が開けて、941mのピークから三ボケ最上流にかけて広がる緩やかな台地に登り着く。

と景観は一変し、心に染み入るような柔らかいブナ林がぱっと目に飛び込んできた。ここでの出会いはいつも新鮮でいつも感動的だ。941mのピークに午前8時30分着、山頂付近の積雪量はまだ2m近い。今日は曇って視界が悪く、山頂付近からの展望は今一つであり、すぐそこにある百里ケ岳方面さえ霞んで見える。これより西に延びる稜線を先月と同じルートでたどり、892mのピーク手前から緩やかに広がる尾根に乗って、ツボ谷出合付近目指して下ることにした。

尾根は広くて雪もたっぷりあり、薮はすっかり埋もれて快適に歩くことができる。由良川までの半ばを過ぎると尾根が細くなり、雪の消えた部分にはところどころアセビなどの薮が現れ行く手を妨げる。傾斜が急に強くなって眼下に由良川の流れが見え、対岸に懸かるツボ谷の大滝を見出したならば流れまではもう僅か。

急傾斜地に、雪の残った部分を選んで一気に下ると、そこはちょうど一のツボ(一の滝)の落口、午前9時30分到着。鎖を伝って滝を下り、雪崩れそうな急傾斜地をトラバースして流れに沿って下ると、大きなトチノキの生い立つ平坦地へ出る。そこは下ツボ谷(ツボ谷の一つ下流の谷)の出合、辺りにはまだ1m余りの雪が残っている。

ここで由良川を渡るつもりでいたが、雪融けで予想以上に水嵩が増し、持ってきた長靴では全く役に立たない。やむを得ず靴を脱いで渡ったが、膝上までの水は非情な冷たさで、引き裂かれるような痛さに悲鳴を上げずにはいられなかった。渡り終えて痛みの治まるのを待ち、再び靴を履き、カンジキを着け、ツボ谷と下ツボ谷との中尾根を登って行く。

時々急な上りも出てくるが、まずまず歩きやすい尾根で、岩場などの悪場は全く無い。途中に大杉があり、その大杉の下で一回目の昼食を摂ることにした。曇ってはいるものの、時々陽の在りかが判るほど雲は薄く、今しばらくは雨の心配はなさそうだ。尾根の上部は広々とした斜面で、傾斜はあるが大きなブナやミズナラが生い立つ気持ちのいいところである。

それを過ぎると尾根は平坦地となり、やっと長い上りから開放される。見れば北側にはこれから向かおうとする傘峠から八宙山の稜線が、そしてそれを背景にマルバマンサクの花が、固く握った掌を解き放つかのように黄色い花弁を開き始めていた。根元を厚い雪に覆われながら咲くこの花のなんと健気でいじらしいことよ(今年出会ったこの花は、いつも深い雪の中であったため、以前のイメージを一新させたようだ)。

七瀬中尾根分岐午前11時20分、10分ほど歩けば傘峠の山頂である。1月に掘った雪洞は完全に崩れ、空洞部分の跡だろう地面が四角く現れていた。八宙山を過ぎ、ヒノキの保存木から850mのピークに至り、スケン谷に続く尾根を1月とは反対に下って行く。古い足跡が黒く点々と浮き上がるように現れているのは、おそらく1月に来たときの足跡だろう懐かしい。途中八宙山を越えた辺り、折れても雪に埋められても生きるアシウスギを見た。逞しい生命力と言うよりも、「可能な限り生きよ」と自然が命じているかのようだ。

長く続く平坦な尾根の先端から、今度は雪の多い急斜面を由良川目指して一気に下る。この辺りの由良川も予想以上に水量が多く、再び靴を脱いで渡らねばならなかった。渡り終えてふと岸を見ると、雪の消えた地表から放たれる鮮やな若葉の輝きが。

バイケイソウの芽吹きだ。ずっとモノクロの世界を旅してきただけに、その輝きは鮮烈であり、命の在ることの証しを知った喜びで、胸に暖かいものが充ちてくる。

12時40分、帰るに十分な時間であればゆっくりと休んでいこう。緩やかな時が流れ、2度目の昼食を摂りながら漫然と由良川の流れを眺めていた。流れが作るの綾の、泡の流れ行く様の、常に変わり行くことの不思議を感じながら。随分ゆっくり休んだものだ。

出発は出合のすぐ東側にある尾根に取り付くことから始まる。雪の半ば消えた急な尾根を上り詰め、江丹国境に上がって少し南に進んだ次のピークから、倉ケ谷出合へ続く尾根を下る。今回で4度目の下り、雪に覆われて尾根の分岐が判りやすかったのだろう、今まで毎回間違っていたが、今日は初めて目指す水道施設に下り着くことができた。

14時00分着、ここからカンジキを着けての林道歩き。朝よりも雪が緩んで歩き辛く、すでに疲れた足には雪の長い林道は本当にこたえる。だるくて休みたくなる頃、ようやく古屋の集落が見えてきた。保谷林道入口14時50分着。見回せば、雪を抱いた冬枯れのままの山並みが、針畑の谷間を囲んでいた。


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