「芦生の森から」04.03.07


網から抜けられなくなった鹿

上谷の丸木橋

一幅の絵のような景観

野田畑湿原

雪の花

雪の花2

シャーベット状の川(左手前)

倒木の氷柱(つらら)

野田畑峠

2004年3月7日 雪・日中は曇り

午前5時半過ぎに家を出たときから雪が降っていた。西大津バイパスの路面には薄っすらと雪が積もり始め、先行車の轍を忠実に追う。

ノーマルタイヤなので慎重に走っていたつもりであったが、一般道への降り口でブレーキを踏んだとたんに車が斜め向いてしまい、わずかに側壁をかすってしまった。幸い傷は小さかったが、精神的ショックが大きく、すぐにチェーンを付けることにする。

途中、坊村で網に囲まれた畑に入って出られなくなった牡鹿を見た。以前演習林事務所のすぐ上流で、同じく網に囲まれた田に入った牡鹿が、網に角を絡ませて暴れまわっている場に出会ったことがある。今回もそうなるのではと憂慮していたところ、その場を少し離れている間に無事出られたのであろう、道路を駆けて行く後ろ姿があった。

針畑川に入ってもいろいろなアクシデントが続く。除雪間もない路肩からタイヤをはずし、チェーンの止め具のフックを壊してしまったり、路肩から落ちて立往生している村営バスの救出作業で待たされたり、更には離合できないところで除雪車に出会い延々とバックさせられたりと、生杉までいつもの倍近い時間を費やしてしまった。

その上この辺りでも40cm余りの新しい積雪があり、駐車スペースを確保するため除雪までしなければならない。

そして最後の大チョンボはロングスパッツを忘れたことである。前回地図を忘れたので今回は特に気を付けていたつもりであったが、またしても不覚であった。これを忘れたら登山靴が履けず、登山靴が履けなければ輪かんじきが付けられない。幸い長靴を履いていたので、ズボンの裾を長靴の上に出し、強く縛って雪が入らないようにしてようやく出発、午前8時45分にもなっていた。

林道は誰も歩いておらず、生杉集落のはずれから早速ラッセルが始まる。雪道歩きは、最初はそれほど苦痛ではないが疲れがジンワリとやってきて、やがて一度に疲労感が出る。生杉ブナ原生林午前9時55分。

もはや疲労感が出始め、小休止して軽く食事を摂る。この辺りから少し積雪量が増えたようで、膝辺りまで雪に沈むようになった。地蔵峠午前10時55分、少し雪の降り方は治まったようである。しかしこの辺りから急速に積雪量が増え、膝の上から股下ぐらいまで沈むようになり、一歩一歩が辛くなってきた。

野田畑湿原は白一色といってもよいほどの雪原となっており、冬の芦生に来て3年目だが、今年(今日)の積雪量が今までで一番多いようだ。雪原を歩くのが本当に辛くなり、野田畑谷の出合で川に下りて流れの中を歩く。

なんと歩きやすいことか、もう雪の中に戻る気が興らない。雪はほとんど止み、見上げれば枝という枝が雪に包まれ、真っ白い花が満開に咲いているかのように美しい。風もなくフンワリとした雪がたくさん降ったためであろう。

この辺りでは昨日からの新雪が60cmほどにも達し、このドカ雪で緩やかな野田畑谷の流れが堰き止められ、川がところどころシャーベット状の雪で埋まっていた。この部分は長靴でも渡ることができず、やむなく陸へ上がってラッセルをさせられる。

何度かこういう所を通過するとそろそろ疲れも限度に達し、「野田畑峠にたどり着かずとも引き返さざるをえないなあ」と考えていると、なんだか谷が狭くなってきた。その上何時か見たことがあるような倒木が!これは来過ぎてしまったのだ。

200mほど引き返し、川から上がって雪を漕いで野田畑峠午後1時05分着。昼食を少し摂ってすぐ出発する。帰路は往路を忠実に、踏み跡さえ忠実にたどることになり、ずいぶん楽に歩くことができる。それでも全く沈まないということではないので、これまでに十分疲れきった足にはやはりグッと応えてくる。

地蔵峠に着くと歩くスキーの団体であろう、相当数の人が来たようで、あれだけ深かった雪が踏み固められほとんど沈まなくなっていた。これだけのスキーの跡に出会うのはいささか寂しいが、それよりも今は、これからラッセルせずに済むことの方が嬉しい。

ただ、スキーの後を忠実にたどっても、ある程度は沈んで夏道を歩くようなわけにはいかないのは仕方のないことか。途中再び雪が舞い始め、雪降る中午後3時50分出発地にたどり着いた。車の上には新たに10cmほどの雪が積もっていた。


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