「芦生の森から」03.03.02.


シンコボ

山頂からブナノキ峠方面

山頂から三国峠方面と百里ヶ岳

山頂から傘峠方面

肌が傷んだリョウブ

野田畑湿原

雪解けが始まっている

自然の作り出す美しい形

野田畑湿原全景

でも積雪はまだこれくらい

アカシデ

デブリ

2003年3月2日・曇りのち晴れ

前日からの雨も止み、天気予報では午後から晴れるとのこと。しかし日本海側は雨のあとも時雨れやすいのが常、だからあまり期待せずに出かけよう。西大津バイパスを琵琶湖側へ抜けると、新雪に被われて白くそそり立つ比良の山並が目に飛び込んできた。「昨夜の雨は山では雪だったのか?」「芦生の山はどうだろう?」そんなことを思いながら車を進める。

花折峠あたりからは名残の雪が現われ始め、葛川梅ノ木から久多方面に入って針畑川を北へ遡ると、次第に雪の量は増えやがて一面の銀世界へと変わっていった。生杉より林道に入り、三国峠登山口付近で車を止める(除雪もその少し先で終わっている)。身支度を済ませ(冬の身支度は何かと手間がかかる)、午前8時15分出発。

三国峠登山口の少し先、今年の1月に三国峠に登ったときと同じ所から尾根に取り付く。ただ今回は最初から輪かんじきのお世話になった。登り始めは雪が緩んで幾分足が沈むが、尾根上は雪が締まってほとんど沈まず、快適に歩くことができる。生杉ブナ原生林からのコースと出会い、三国峠の少し手前から枕谷へ降りて行く。

下り始めは緩やかで一面雪に覆われた谷であったが、すぐに雪が割れて流れが現れ、両岸の傾斜が強くなってくる。こうなると、谷底を歩くことはできず山腹を巻くように下らざるを得ない。ところが、これが結構なアップダウンで容易には下れない。

2つ目の谷を渉ったところから急斜面の尾根に取り付き、それをどんどん登っていくと、やがて若丹国境稜線上のピーク(標高810m余り)に出た。午前10時ちょうど、この辺りはわずかに新雪が積もっている。

これより国境尾根を西へたどり、野田畑峠では野田畑谷に入って谷の中を散策する。いつ来てもこの谷は素晴らしい!心に沁み入る柔らかな雪景色をしばし楽しんだあと、再び国境尾根上を忠実に西へ向かう(今回は長靴を履いていないので谷の中は歩けず、尾根通しとなった)。幾度かのアップダウンを経て、連続した登りを越えるとシンコボへの分岐点に出る。

この辺りにはタムシバの木が多いのだろう、銀の毛皮に身を包んだ花芽がいっぱいだ。また雪の消えたところからは、てらてらと光るオオイワカガミの葉が覗き、周辺にたくさん群生しているものと想像できる。タムシバの白い花と、オオイワカガミのピンク色の花が咲く季節は、きっと素晴らしいに違いない。「4月の芦生もここに決まりだ。」

分岐点から5分ほどでシンコボ山頂、午前11時15分、少し早いが昼食にすることにしよう。先ほどまで吹いていた風も治まり、陽だまりは快適な昼餉の場を提供してくれる。「自然館」で買った「ベジタブルカレー」でカレーライス、今日のように穏やかな日ならば暖めずともおいしい。15分ほど休んで再び国境尾根に戻り、杉尾峠方面に一旦下って登り返した最初のピークから、東へ延びる枝尾根に入って行く。

この頃にはすっかり空は晴渡り、樹林越しには青空を縁取るような四囲の山々が望まれた。しかし遠くの山が霞んでいるのは、黄砂が飛来しているからであろうか?
この尾根は南に上谷、北に野田畑谷といずれも緩やかな谷に挟まれており、誤って下っても危険はない。しかもこの晴天であれば誤ることもほとんどなかろうから、安心して雪の山を楽しむことができる。数ヶ所地図のお世話にはなったが、磁石を取り出すには及ばず、ガスに包まれ続けた先月の山歩きとは大違いだ。

やがて野田畑湿原を眼下に一望できるピークに立った。この湿原をこんな高みから眺めたのは初めてであり、その意外な広さに驚く。そして真っ白に覆われた湿原と、その中を緩く蛇行して流れる上谷の黒い軌跡とのコントラスト、自然の造詣のなんと美しいことよ。ただ薮が邪魔して視界を妨げ、広闊な景観が得られないのはまったく残念である。

このピークで尾根は途切れるため、湿原に向かって急斜面を一気に下る・・・と言いたいが、ところどころ雪が消えているので雪の残っているところを繋ぎながら、しかもうるさく感じるほどの薮を漕いでの下りであるため簡単ではない。

やっと下りついた野田畑は一面の白い世界であり、その白い平原の真中に最初の足跡を印して渉って行く。雲一つなく澄み切った青空の下、真っ白な世界を一人たどる喜び、この快感は経験した者でないと解らないだろう。

湿原も終わりに近づく頃、一条のシュプールに出会う。そのシュプールは野田畑谷に向かって続いていたが、来し方をたどれば地蔵峠方面から上谷の流れを渉って来たようであった。上谷の水量は多く、おそらく靴を脱いで渉ったものと思われる。私もここで渡渉すべきか思案したが、靴を脱いでまでとはいくらなんでも面倒だ。そこでここを渉るのは止め、そのまま流れに沿って下ってみることにした。

野田畑谷の流れを何とか渉りさらに下ると、いつしか上谷の流れが急傾斜の山裾をかすめるようになる。ここは流れに沿って下るわけにはいかず、大きく巻き上がって越え、なおも下るとわずかで地蔵峠からのコースに出会った。午後1時15分。スノーシューの跡がたくさん残されていて、幾人もの人が通ったことを物語っている。

中山神社前から枕谷を渉り(この谷も増水していて渉るのが大変であった)、地蔵峠に登りつくと、スキーで多数の人が通過したのだろう、広範囲が踏み固められてまるでスキー場のようだ。これより林道歩き、雪があっても長い道のりだ。陽に力強さを感じながら歩くと、ぽかぽかと暖かく、もう3月、春であることをしみじみと知る。

途中小さな雪崩跡があり、デブリ(雪崩落ちた雪の塊)が林道を埋めていた(この程度の雪崩であれば問題はない)。除雪されているところまで下ってくると、そこに観光バスが2台止めてあった。地蔵峠の踏み跡の主に違いない。きっと長治谷作業所までスキーで往復するのだろうが、片道だけでもうんざりするのに、これを往復とは酔狂なこと。それにしてもこんな季節でもバス2台分の人が集まるのだから「芦生」の人気高さには驚くばかりである。

ここで輪かんじきを外し、林道をわずか歩いて車に戻り着く、午後2時35分。振り仰げば抜けるように青い空が頭上いっぱいに広がっていた。


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