里山便り「芦生の森から」02.1.27(新連載)


地蔵峠

野田畑湿原を臨む

上谷1

上谷4
野田畑湿原

トチノキの大木

原生林を抜けて

杉尾峠に到着

さらに三国峠まで足をのばす

2002年1月27日(雨)

昨日からの雨が降り続いている。安曇川の支流針畑川への道が土砂崩れで通行止めとなり、朽木村役場前経由で生杉に入る。異常ともいえる暖冬のため、ここまでほとんど雪を見ることもなく、夏タイヤで来ることができた。しかしこれより先の林道には雪が残り、タイヤチェーンをつけなければならなかったが、それでも結局ゲートがある生杉ブナ原生林まで車で入ることができた。雨は止む気配もない。

一昨日慌てて買ったゴアテックスのレインウエアーを上下に着け、膝までの長靴を履いて午前8時20分出発する。林道には昨日かと思えるスキーのシュプールがあり、この季節にもやって来る者がいることを教えている。地蔵峠まで40分ほどの登り。峠に着く頃には雨の中に時々白いものさえ混じるようになり、さらに上を見ると雪から雨に変わっていく様が分かる。積雪量は20〜30cmほど。

地蔵峠、ここが滋賀県側から芦生への入り口である。夏の間閉められていた鉄製のゲートは、雪の重みで曲がるからなのだろうワイヤーに取り替えられている。一歩芦生に入った途端にミズナラやブナの大木たちが出迎えてくれ、2ヶ月ぶりに帰って来たのだというような気がしてくる。

一昨年までは車でこの峠まで入れ、芦生で最も原生的景観が残っているといわれる上谷まで、30分も歩けば着くことができた。そのため入林者は次第に増え続け、バスツアーでやってくる団体や、きわめて軽装の観光客までが押しかけ自然破壊が懸念されるようになっていた。だから昨年、生杉ブナ原生林にゲートが出来たときは、正直歓迎したものだ。
峠から少し下ると杉林となり、三国峠への道を分ける。この辺りから盆地のような地形となり、平坦地が続くようになる。この季節、この雨、今日は誰にも出会うまいと思っていたが、ここで新しい足跡を見つける。

中山神社という小さい祠で道中の無事を祈り(その昔若狭から京へ越えた人々も、きっとここで祈ったことだろう)上谷に架かる丸木橋を渡ると、左は長治谷作業所から由良川本流方面へ、右は野田畑から杉尾峠への分岐となる。今日はこれを右にとり上谷を上流へ向かう。

しばらく杉林の中を行くと突然視界が拡がり、野田畑湿原に出てくる。湿原は広い雪原になってはいるが、積雪が少なくススキや潅木が飛び出し真っ白とは言いかねる。ここで先程見た足跡の主に出会う。京大の先生と学生のようで、鹿の食害を研究しているらしい。

湿原を過ぎるといよいよ原生林の核心部に入っていく。相変わらず谷は広く明るく、瀬も淵も作ることのない谷川が、その中を緩やかに蛇行しながら流れている。谷底にはミズナラ、サワグルミ、トチノキなどの大木が並び両側の斜面にはブナも生立っている。

芦生の標高は、最高でも900m余りで、この辺りは650mほど。ブナの生える環境としては最暖地になる。しかし、昨今の温暖化と少雪はその生息場所を押し上げてしまったのか、最近の芦生ではブナの実が稔っても殻だけで、胚がなく発芽しないという話を聞く。そういえば芦生で見る倒木にはブナが多いように思えるし、それに対しブナの稚樹はあまり見かけないようだ。やがてはこの地からブナが消滅してしまうかも知れない。ここ上谷でも沢山のブナが倒れている。ナメコが生えるからなどと喜んではいられない。

研究者たちを追い越すと足跡は絶え、雪の上に最初の足跡を印しながら緩やかな広い谷を、時々流れを渡り遡って行く。やがてモンドリ谷(名前が面白い。きっと元へ戻るような方向に流れているからだろう。)に出会うと、谷は急に傾斜を増しV字谷となる。

しかしそれもわずか。風の音が大きく聞こえ、木々の枝の揺れがはっきり見えてくると、間もなく杉尾峠に登りつく、午前10時30分。峠の向こうは若狭の国、福井県。芦生もここまで。若狭側は杉の植林帯となっていて、芦生側とは対照的だ。

時々雪の混じる雨はなおも降り続き、寒さに休んでいることも出来ず、早々に立ち去ることにする。自分の足跡をたどって元来た道を引き返し、野田畑湿原まで戻ってくる。夏には入ってはいけない湿原だが、雪に覆われていると許される。これが積雪時の山歩きのいいところだ。雪の上を、潅木を避けながら歩く。もう少し積雪が多ければ素晴らしいのだろうが・・・。

さらに戻って三国峠への分岐に着き、帰りはこちらの方へ入っていくことにする。この谷(枕谷という)も広く流れが緩やかで、ミズナラなどの大木が生い立つ芦生らしい谷だ。

しばらく遡るとやがて道が谷底を離れ、山腹を巻くようになる。そして最後に急な尾根を登りつめると三国峠の頂上だ。午後0時30分。峠といっても三角点のある山の頂で、芦生には他に傘峠、天狗峠などの山がありこの地方特有の呼び方のようだ。三国とは若狭、丹波、近江の三国で、すぐ南にも三国岳という山がある(こちらは丹波、近江、山城の三国)。

山頂部は潅木が刈り払われて展望がよさそうだが、今日は視界がきかず残念だ。相変わらず雪交じりの冷たい雨が降り続き、ここでもじっとしてはいられない。山頂から車の置いてある生杉ブナ原生林に向かって下っていく。初めは道もか細く雪に覆われ迷いがちであったが、下るほどに雪も少なくなり道がはっきりしてくる。

眼下に林道が見えてくるといよいよ最後の下り。ところがここが急だ。夏道でもかなりの悪路が、雪が少し残っている状態だと最悪。滑らないよう細心の注意を払いながら、しかもすばやく下らなければならない。ブナの原生林内を下り、車にたどり着いたのは午後1時少し前であった。

芦生に初めてやって来てからもう30年近くになる。知る人ぞ知るの静かなところであったが、道も良くなりマスコミや図書などでも取り上げられ、今ではすっかり俗っぽくなってしまった。原生林で有名な芦生といっても、今回行った上谷周辺、櫃倉谷中流辺り、そして由良川のカズラ谷から三国岳にかけての3箇所に原生林は集中している。その中でカズラ谷から三国岳にかけての地域が一番広大だ。しかしそこは一番入山し難い所だから、ありがたいことに昔のままの静けさが残っている。私が好んで足を踏み入れるのも、自然とその地域ということになる(稜線以外への積雪期の立ち入りは相当危険と思われるが)。

由良川源流部の芦生は、京大が地元から借り受け演習林として使用しているが、間もなくその賃貸借期間が経過する。地元美山町では更新はせずに返還を受け、観光のための開発を目論んでいると聞く。また関西電力の揚水発電ダムの計画もあるらしい。貴重な自然はいつも開発や破壊の脅威にさらされ、未来に繋ぐべき財産がここでも失われかねない状況にある。貴重さが知られることは破壊を止める原動力にはなるが、反面やってくる人の増加が自然を破壊するという問題も孕んでいる。いずれにしろ静かであった山里も、これからこれらの問題で少しずつ騒がしくなっていくことだろう。

----------------

いよいよ、新シリーズの連載が始まりました。今年は、自然を愛する人なら一度は訪れてみたいあこがれの場所、「芦生原生林」の季節の移ろいを伝えてくださいます。自家用車が再起不能の故障となり、1月の里山便りの原稿が危ぶまれていませいたが、新しい車がギリギリ間に合っての取材となりました。次号からも、芦生の貴重な画像を御期待下さい。(編)


里山便りに戻るメールを送る